両側乳がんラプソディ #13 転院
予約をした日に再び病院を訪れた。
乳がん告知から2週間が経っていた。
少しずつ乳がんに関する知識が増えることに正比例し、焦りが生まれてきた。
乳がんは必要以上に恐れることはなく、「穏やかさん」タイプの初期なら手術メインの治療で乗り切れることをなんとなく理解した私は、一刻も早くスッキリさせたいという気持ちで一杯であった。
検索してみたが、乳がんとはいえ流石に2ヶ月以上の手術待ちは長い。
待ち時間が長いことがわかっているなら、早く手術の列に並びたい。
次のステップを決めて、先を見通したい。
予定が立てば、未来も描きやすい。
というわけで、私にとってこの2週間は、よく言えば平常心を取り戻し、先に待ち受ける治療への意欲に燃える時間であった。
悪く言えば、先が決まらないことにイライラを募らせる時間となった。
診察室に入ると、先生は相変わらずの柔らかボイスで、右胸も「穏やか」タイプの浸潤性乳管がんで間違いないことを私に告げた。
ステージはおそらく1であることも付け加えた。
改めて今後の治療の希望を聞かれたので、一次一期再建を望んでいるため、G施設に紹介状を書いてほしいことを先生に伝えた。
先生はスマートフォンを確認しながら(多分ネット上に掲示されている手術待ちの期間を見ていたのだと思う)、手術は早くとも8月下旬以降になるだろうと話し、仕事の関係で9月中には終わらせることができたら嬉しいと私は答えた。
8月9月は大学の授業がないため(学校によっては9月の途中から後期が始まるが)、その期間に手術ができれば休講対応をせずに済む。
先生の話を聞いて、一刻も早くG施設を受診しなければならないという焦りが増す。
「それでは紹介状を書いておきますので、来週、取りに来てください。とりあえず病院内の連携室に行って紹介の予約手続きをしてください。」
これからまた一週間待つの?気持ちはジリジリするが、とりあえず連携室に向かった。
連携室で紹介希望関連の書類に記入しそれをスタッフの方に渡すと、紹介状ができた後で受診の予約をしてくれるという。
ちょっと待って。
紹介状がないと予約もできないのである。
ということは、紹介状ができるのが一週間後、そこから初診予約を入れてもらって、おそらくそんなにすぐは取れないからそこからまた、一週間?二週間?
私は一体いつになったら手術の予約ができるのだ。
少し考えて、いよいよ我慢ができなくなった私は、もう一度、乳腺科に戻り、どれだけでも待つので今日中に紹介状が欲しい旨を伝えた。
無理を言っているように聞こえるかもしれないが(実際そうだろう)、でも真剣だった。
これ以上、待てない。
それから1時間ほどで先生は紹介状を作成してくれた。
私はそれを持って連携室に再び足を運び、予約のお願いをした。
時刻は17時になろうとしている。連携室も閉まる時間だ。
遅くなったことを謝る私にスタッフの方は首を横に振る。
結局、その日はG施設に電話がつながらず、後日、結果を電話で教えてもらうことになった。
人は考えてもしょうがないことで悩む。
受け入れてもらえなかったらどうしようという自分で解決できもしない想像を膨らませ、その日はなかなか眠りにつけなかった。
翌日の午後、連携室から電話をもらい、10日後の6月22日に初診がとれたことを教えてもらった。
最初の病院を訪れてからすでに2ヶ月になろうとしていた。私はようやくスタートラインに立った。