ヘビ狩猟計画を実行しようと思ったきっかけ
僕は大学3年生の頃、
野生のヘビを捕まえて食べたことがあります
何かのイベントとかでなく
完全なプライベート、です
なぜそんなことをしたのか
話はヘビ狩り実行の
約1年前に遡ります、、、
*
▼祖父との思い出話
その日、僕は祖父と一緒に
テレビを見ていました
記憶は曖昧ですが、たしか
「 戦後のような生活を送る家族に密着! 」
というテーマの番組だったはず
その番組を見る祖父は、
まるで幼少期の自分の暮らしを
思い出しながら見ているようでした
懐かしそうな視線を
テレビに向ける祖父
するとふいに、テレビを見ていた
祖父が僕に話しかけてきました
「 昔はあんな風に風呂を沸かしたんだよ 」
その一言をきっかけに、
自然と祖父の昔の暮らしに
ついての会話がスタート
戦後からまだ10年くらいしか
経っていない時代の話です
祖父は、実に饒舌にそして
楽しそうに語っていました
はじめは風呂の話を、
しかしいつの間にか
当時の遊びについての
話へと話題が変わりました
祖父によると、
当時少年だった祖父が
暮らしていたところは
家のすぐ近くに山があり、
自然と遊び場は家の近くの
山だったそうです
それに当時は、今ほど
食料もなかったため、
おやつなんてものは
なかったそうです
しかし育ち盛りの
幼少期、よく腹は減る
そのため、祖父は遊びがてら
よく山に行ってはおやつ代わり
にとちょっとした狩りをしては、
それを食べていたという
そのおやつ代わりとして
食べていたのがヘビだという
僕はその話を聞いた時、
「 なんて野生児! 」
と衝撃を受けました
まるで、未来少年コナン
そして、同時に
それめっちゃ楽しそう!
俺もやりたい!
と思ったのです
恐らく普通の人なら
引いてしまうような話
なのでしょうが、僕は
むしろ興味を引かれました
なぜか
実は、僕は高校3年生の頃から
ずっと頭の片隅に、ある願望を
隠していたのです
それは
いつか自分の手で生き物を
捕まえ、殺し、そして食べたい
というものです
*
▼「 いただきます 」を知りたかった
ちなみに、ここまで読んで
「 こたろう、ヤバいやつかもしれない 」
と思った方
まだ通報、報告ボタンは
押さないでくださいね!!!!
たしかに他の人が聞けば、サイコパス野郎の
考えにしかみえないかもしれませんが
僕としては大真面目な話なのです
というのも、
僕は高校生の頃から
食事をするときの
「 いただきます 」
という言葉に疑問を
抱いていたのです
食事を作ってくれた人へ
食材を作ってくれた人へ
命を頂いていることへ
それらへの感謝の言葉が
「 いただきます 」
それはわかってるつもりです
しかし、
命を頂いていることへの感謝
この部分の理解に苦しみました
そしていつしか、
「 いただきます 」を本当の
意味で理解できるようになりたい
と思うようになり、
いつか自分の手で生き物を
捕まえ、殺し、そして食べたい
と一見サイコパスじみた考えに
見える結論にたどり着いたのです
では、そもそもなぜ
「 命を頂いていることへの感謝 」
の理解に苦しむのか、、、
そしてなぜ、狩猟することで
「 いただきます 」を理解できると
思ったのか、、、
それには高校時代どハマりしていた
「 鋼の錬金術師 」の作者として有名な
荒川弘さん原作の漫画
「 銀の匙 」が関係しています
*
▼「 銀の匙 」
この漫画は、主人公が
北海道の農業高校に入学するところ
からはじまります
主人公は農業はおろか、
卵がどこからやってくるのかさえ
知らないのですが、
農業高校での生活を通して、
自分で豚を育てはじめます
そして、その豚がお肉として
食卓に並ぶ一連の流れを
目の当たりにして命の重さを知り、
「 食 」というものを知のです
このストーリーは全体のほんの一部の
描写ですが、そういうものがあるのです
漫画の主人公は
豚の飼育を経験をして
命を頂く
を知ったのですが
これを読んで僕は、こう思いました
( 俺って命の重さ知らねんじゃね? )
野菜ならまだしも、現代社会では
自分の手で鶏や豚を殺して
捌いて食べるなんてことは
普通出来ないじゃないですか
ということは、
食卓ににでてくる肉に対して、
いつも僕が言っている
「 いただきます 」って
知ったかぶりの「 いただきます 」だよな
って考えたのです、、、
▼野菜への「 いただきます 」はわかる
でも肉への「 いただきます 」は
わからない
僕は小学校の頃、
学校の裏の畑で野菜を育てる
という行事があり、実際に
育てて食べたという経験があります
野菜を育てて、それを口に運ぶ
僕は、この一連の流れを体験しているため、
まだ野菜に対しての「 いただきます 」は
知っているつもりです
しかし、肉はどうか?
こればっかりは、経験したことがありません
ですが、
例えば
失恋したことがないにも
関わらず、友人に対して
「 失恋辛いよな、わかるよ 」
という言葉をかけたとします
しかし、体験したこともないのに
同情するその言葉は、
あまりに軽いものです
捉えようによっては嘘です
僕は、この例は食肉にも
当てはまると思っています
肉を自分で手に入れて
調理したこともないのに
( 命って重いよなぁお肉に感謝だな )
とイメージしながら
「 いただきます 」を言う
この言葉は、失恋経験のない人が言う
友人への同情の言葉並に軽いと思うのです
それに、いくら同情の気持ちがあっても
それはただ知ったつもりになっている
「 知ったかぶり 」ではないのか?
とも思ったのです
つまり、
本当の意味で肉に対する
「 いただきます 」を理解したいならば
自分の手で生き物を
捕まえ、殺し、そして食べる
このような経験を積まないと
いけないのかもしれない、、、
「 銀の匙 」を読んで、いつしか
そう思うようになったのです
そして、いつか実現させたいと
高校の時に頭の片隅に
保存していたのでした
*
▼ヘビ狩りを決意
自分の手で生き物を
捕まえ、殺し、食べる
そうして、「 いただきます 」
という言葉を理解したい
僕は、高校の時から祖父のその話を
聞くまで、ずっとそう思っていました
そして、大学3年のとき、
祖父のヘビを食べたという昔話と
僕がずっとひた隠していたその願望が
結びついたのです
そしてこう思いました
( ヘビ狩りに行けば、 僕の願望は叶う )
と