見出し画像

発達親子の生活(不登校・2)

どうも。アラフィフおばちゃんです。
以前、息子が幼稚園に通いたがらなかったエピソードを書かせていただきましたが、今回は小学校低学年の頃について書いていきたいと思います。
当時の我が家は転勤族で、小学校時代に転勤に伴って転校しているので転校前と転校後に分けて書くつもりです。

まず、行ったり行かなかったりしながらどうにか過ごした幼稚園時代。
しかし、小学校は「行きたくないから行かない」というのはなかなか大変だなぁという思いがありました。小学校は一応義務教育ですからね。

入学前に何度か一緒に小学校までお散歩して、登校の練習をしました。うちの息子の通う学校は集団登校がなかったので、1人で行くのが嫌なようだったら一緒に登校するつもりではいました。

しかし、それ以前の問題が・・・
まさかの
入学式翌日に早くも登校拒否_| ̄|○ il||li

さすがに早くない???

どうにかグズる息子をなだめながら小学校に手を繋ぎながら登校したところ、息子の担任が車で私達親子の所まで来ました。
ほぼ強制的に親子で車に乗せられてそのまま学校へ、上履きに履き替えると息子は私と離れたくなくて号泣。
私は教室まで付いて行こうかと思ったのですが「お母さんは帰ってください!」と言われて、担任は泣きじゃくる息子の手を引っ張って無理やり引きずるように教室へ・・・
私はこの日のことをきっと一生後悔するし、今でも泣きじゃくる息子の顔が脳裏から離れません。償いきれないほどの罪悪感を今でも感じています。

何も抵抗できず、廊下に呆然と立ち尽くす私のもとに保健室の先生が「アレは一番やっちゃだめだね。少し保健室で話をしていきますか」と声をかけてくださいました。
入学前から学校側には息子の話はしてありましたし、具体的な取り決めはしていなかったものの「合理的配慮」を求めていました。
しかし全てをめちゃくちゃにした担任の対応。

とりあえず保健室にお邪魔させていただいて、私なりの息子への対応について話し合いました。
すると「次にいつ学校に来れるかわからないけれど、その時は教室には行かず保健室へ来ても良いように校長先生に話しておきますね」と仰ってくださいました。

その日はどうやって帰宅したのかは記憶がないのですが、おそらく校長先生にすぐに話しがいって息子は早退できることになり、真っ赤な目の息子の手を繋いで帰宅したと思います。

その日か、翌日あたりに校長先生から連絡があり、正式に保健室登校が認められました。
しかし、息子の心の傷はかなり大きくどうにか家を一緒に出ることができても、校舎が見えてくると歩けなくなってしまいそのまま帰宅する日々が続きました。

このあたりから、私の中で「あの日の担任の暴挙」に対する怒りがとてつもない大きさまで達してきて、校長先生に改めてあのような適正のない教員が在籍していることに対する意見を述べて、教育委員会にも教員の横暴な行動を指摘する抗議文を提出しました。

結果、息子は基本的には「保健室登校」で帰宅したいと思ったら、保健室の先生に自らその事を伝えることができたら、持参していた携帯電話で私に電話をして私が迎えに行き、早退することが出来るという特別なルールを作ってもらいました。保健室では教室で行っているプリントと同じものを使って学習したり、保健室の仕事のお手伝いなどをしていました。
時には私がずっと一緒に保健室にいて、息子の勉強を見てあげていたりしました。
また、一番大きかったのは異例中の異例と校長先生からも言われたのですが入学して数ヶ月でクラス替えをしてもらったことです。こちらは理解ある先生だったので、校外学習や校庭で学習する時には息子を誘いに来てくれて、息子もそのような授業には参加していました。

長文になってしまったので、今日はこの辺で・・・

いいなと思ったら応援しよう!