育成は誰のためにあるのか

子どもたちの指導に関わっていると必ず出てくるワードが「育成」だ。子どもたちの年代を指して「育成年代」という言葉もよく聞くと思う。

さて、この育成に関してだが、誰のために存在しているのだろうか?

この問いに対してはおそらく誰に聞いても「子どもたちのため」という答えが返ってくるだろう。

それはそうだ。育成とは文字通り育てて成長させることを指しており、その対象は子どもたちだからだ。

ではもうひとつ問いかけよう。

「子どもたちは育成されたいと思っていますか?」


子どもがバスケをしている理由は多岐に渡る。

なんとなく身体を動かすのが好きだから。仲良しの友達がやっているから。誰かを倒すのが好きだから。憧れの選手がいるから。親に言われたから。

さまざまな理由が考えられる中で、真に育成すべき対象となる子どもは少なからず限定される。(正確に言い直せば、育成したいと思っているコーチとの相性が良い子ども)

それは競技力を高めたいという気持ちのある子どもだ。先に挙げた中で言えば「誰かを倒したい子」「憧れの選手がいる子」などがそれにあたる。

逆に、そうでない子に対してはどれだけ働きかけてもコーチの空回り、更に言えば「押しつけ」になってしまう。

彼らは育成してくださいと言っていないし、思ってもいないのだ。

子どもたちと接する時、どんなところに楽しさを見出してプレイしているのか。そこの見極めを怠ってはならないと強く思う。

ここからは大学生でコーチを始めた時の話だ。
あまり勝てないヘッドコーチだった。

当時、「育成」と主張することには甘美な響きがあるように感じていた。

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