生きゆるむ
「生き急ぐ」という言葉がある。
面白いもので、前に突き進むポジティブな印象と、死に向かっていくネガティブな印象の、両方の側面を持ち合わせている。
具体的にイメージをしてみると、幕末の志士だとか、身を粉にして世界を救うスーパーヒーローだとか、作品制作に心血を注ぎ衰弱する芸術家だとか、焦燥に駆られ戦い続ける格闘家だとか、危険を顧みずに秘境の地を目指す冒険家だとか、そんな人たちが思い浮かんだ。周りの人には心配を掛けていそうだが、当の本人は一心不乱で、なんだか少し楽しそうでもある。
一方で、自殺しようとしている人だとか、延命治療を拒んだ病人だとか、氷点下の寒空の元で居眠りをしている酔っ払いだとか、夜中にたびたび呼吸が止まる痛風で糖尿病の大食漢なデブだとか、そういった人たちは「生き急ぐ」とはやっぱり違う。本人が一生懸命だったり、楽しそうではないからだろうか?
また「生き急ぐ」という言葉は、時間または速度が "普通” よりも、はやい様子を表しているようにも思う。人生をマラソンに例えた人がいたので、それに当てはめてみよう。
走る先には人生のゴールというものがあって、そこに到着をすることは、すなわち人生をまっとうして死をむかえることを意味する。 "普通” の人が走る速度を時速12キロとする。これは一般男性の走行速度だ。すると「生き急ぐ」人の速度は、駅伝選手のように時速20キロくらいだろうか、あるいはウサイン・ボルトのトップスピードである時速40キロであろうか。酔っ払いや大食漢のデブが、駅伝選手やウサイン・ボルトのように走ることは難しいので、この考えは私の感覚とも一致するようだ。ゴールを目指すことをあきらめリタイヤをしたり、途中で歩みを止め朽ち果ててしまったのであれば、そこがその人のゴールとなる。
では、時速5キロでゆっくりと歩いている人はどうなるのか?
「生き急ぐ」の逆である。「生き遅れる」という言葉があるが、これは死ぬべき機会を逃してしまったという意味になるので、そぐわない。適当な言葉を探すのなら ”緩急” の緩、すなわち 「生きゆるむ」 であろうか。
私は今、生きゆるんでいる。
ちゃんと "普通”に走ることに疲れてしまって、がんばり続けることに意味が見出せなくなって、両足を一度に地面から浮かせることができなくなった。それでも、立ち止まって休憩をしているわけではなく、時速5キロで前進している。リタイアをするつもりもない。
そんな「生きゆるむ」私に、どんな最後が待っているのだろうか?
"普通” の人よりも、ゴールへ到達するまでの時間がかかるから、穏やかな人生が、細く長く続くのだろうか。それとも、歩む速度に合わせた、新たなゴールが設けられるのであろうか。
いや、違う。そんなに都合がいいわけない。
世の中は、ルールによって秩序が保たれている。たらたらと歩いている人は "普通” の人の邪魔になる。だから交通整理のために失格となり、世の中から排除されるだろう。最後尾を走る、資材撤去を確認する車には、死に神が乗っている。そして排除した人の情報は拡散され、走り続ける人たちの原動力となる。
走るか、リタイアをするか、失格となるか。
現実には「生きゆるむ」なんて言葉も選択肢もない。