世界は言葉でできている
町の本屋さんが目に見えて減っていますね 何やら10年前に比較すると1/3の店舗が閉店してしまっているようだが、それは私の肌感覚とも一致します
そんなこともあってか、たまたま訪れた町で、本屋さんを見かけると必ず立ち寄ってしまいます 潰れるのを待つばかりの魅力のないどうしようもない本屋が3割、ほぼほぼ雑誌と漫画が売り場を占めていてPOSデータに頼り切りなくせに話題の新刊もろくに配本されない個性はないけどボチボチ経営はできていそうな本屋が3割、規模はまちまちだけど町に根付いていて何らかの魅力を感じる本屋が4割、というのが私の印象です そして最後の4割の本屋さんに当たると、応援の意味も込めて何かしら購入するようにしています
最近たまたま立ち寄った本屋さんもそんなところで、田舎の駅前には不釣り合いな岩波新書の本棚には、なにかプライドのようなものを感じました とはいえ最近は積み散らかした本であふれてしまっているので、普段はあまり買うことのない雑誌を購入しました これ絶対おもしろいやつです
まだ半分程度しか目を通していないのだが、案の定一つ一つの記事がいちいち魅力的で面白い そして製本もデザインも素晴らしく、ただそこに置いてあるだけで気分が良くなるほどで、改めてデジタルではない紙の本の魅力を感じました
そんな雑誌から、あぁ面白いなと思った話を一つ
「科学を語る言葉」というトピックスに「翻訳語は日本の科学を支える(垂水雄二)」という記事があります その記事の頭には”社会”、”独立”、”自由”、”競争”、”演説”、”討論”、”家庭”、”健康”などは福沢諭吉が、”肯定”、”否定”、”定義”、”本能”、”理想”、”哲学”、”概念”、”想像力”、”認識力”などは西周が作った とあります 作った、だと!?
また、杉田玄白らが解体新書を作った(翻訳した)ということは、あのぬらりひょんのような肖像画とともに記憶にあるが、最初の蘭和辞典が作られたのは、その20年以上も後になってからとのこと…
「世界は科学の言葉でできている」というテーマの雑誌だったのに、それ以前の話として、そもそも「世界は言葉でできている」ということを再認識させられました そして、言葉を作るという作業がとてもクリエイティブなことであること、またそれが国の発展に必要不可欠なことであると考えて、その作業に取り組まれた多くの先人たちがいたことに、想いを馳せたとさ