私のザネリ<9>

 Bさんから遠く離れたので、学校生活における人間関係がたやすくなったか、というとそうでもなく…。いや。むしろそこから、行き止まりの袋小路もしくはあさっての方向への迷走が始まったのです。よそから私を眺めれば「何をやってるんだ?こいつ」という感じだったでしょう。

 簡略化すればこうなります。
 1 いじめっ子がいなくなった。
 まだ実感がわかずにオドオドビクビク。挙動不審。
    →面白がられていじられる。
    →見逃してくれたら2へ。
 2 普通に接してくれる。特に親しみをこめているわけではないが、ただ同じ集団に属する者の一人として。そりゃそうです。大半の人たちは私の身にあったことを知らないか忘れたかどうでもいいかですから。
 挨拶や連絡事項を話してくれる。皆に配布、支給される物をちゃんと私にも渡してくれる。
 同じ班だからいっしょに行動や作業をしてくれる。なんと給食やお弁当まで気色悪がらずに…。
 えー…。なんでそんなに親切なの?すっごくいい人なの?そんなおひとよしで大丈夫?(いや。だから普通だって。「おまえなんかどっか行け」もしくは「そんなやついない」扱いをされてきたから感覚の基準がぶれまくってる)うわあ。ありがたやありがたや。過剰に感謝、恐縮してへりくだってぺこぺこする。
    →引かれるか、面白がられていじられる。
    →見逃してくれたら3へ。
 3 どうやらみんなかつてのように、私をただの隣人として見なしてくれてるようだ(遅い)。もう狩りたてられる化物じゃないんだ。…良かった。
 もうあんな目にあうのはまっぴらだ。でも、またいつもとに戻らないとも限らない。どうすれば嫌われずに済むだろう?そうだ。「いい人」だと思われよう。
 きっとやさしくふるまえばいいだろう。親切に、困ってるようだったら手助けして、面倒そうなことは引き受けることにしよう。
    →便利なやつだと利用され、陰で見下される。
    →見逃してくれたら4へ。
 4 数は多くないが仲良くしてくれる人たちがいる。
 仲良しって「はしゃいでふざけあう」んだっけ、たしか。「軽口を叩く」…。弱めの悪口?…悪口ってとんでもなく下品で人格を木端微塵にする言葉(とてもじゃないがここでは書けない)でののしられたことしかない。「じゃれあう」は軽めの暴力?…口の中が切れるほど殴られても、はれあがってズキズキ痛んで青あざもなかなか消えないほど蹴られても「たいしたことない」で済まされた。それでも「ふざけた」だけだと…。程度がよく把握できない。どうしよう。
    →打ち解けないと思われて引かれる。あまりなかったと願いたいが
    加減を誤って嫌な目にあわせてしまったこともあったようだ(本当
    に申し訳ありません)。
    →残ってくれたのは、ごく少数。
 
 実際はここまでわかりやすくはなかったのですが…。周りの状況も私の心情も、微妙なグラデーションやごちゃ混ぜのカオスの部分もあったようで、1から4までを行ったり来たりしてましたがだいたいこんな感じでした。
 糸がもつれた操り人形みたいにギクシャク。エラーばかりのポンコツロボットみたいにフリーズ。
 そんな私に誰よりも困惑したのは私自身でした。
 「私ってこんなんでなかったはずや…」
 Bさんとのことがあった以前の私は、もっとうまく自然にやれていたように記憶していました。もともと「誰とでも仲良く」とか「友だち百人」とかいうタイプではなかったけれど、これほどまでにたどたどしく卑屈で無様ではありませんでした。あの頃のほうが幼くもの知らずだったのに…。

 たしか、イソップ童話にムカデの話があったような…。
 ある日突然歩けなくなるムカデ。
 昨日まではすいすいと、たくさんある脚をからませずに歩いてたのに。
 当たりまえ過ぎて「歩く」ということさえ意識していなかったのに…。
 なぜかできなくなってしまったのです。

 私の場合は突然ではなく、長い間…子どもにとっては永劫に思えるほどの時間…外界から拒まれてると思い込まされて心を閉ざさざるを得なかったのです。だからほかの人たちとどう交流すべきか、すっかりわからなくなってしまったのでしょう。
 できて当然。いや。できないと想像さえしないことができなくなる…。身についていたはずの簡単な他者への対応。転ばずに歩くこと。呼吸のしかたさえも…。
 いわゆる『いじめ後遺症』だと思われます。

 『ゲームの世界』に無理矢理放り込まれてモンスターの役を演じることを無理強いされ続けた者は、もうそのゲームが終了して皆が…そのパーティの一員として存分に楽しみかつその世界を創りあげる役割も担った人たちが…引き払って元の世界に帰ってしまっても…ひとり置き去りにされることがあるのでしょう。理不尽で不条理な異世界にずっと。心の一部分が…。
 ところで、私にはよくわからないことですが、いじめっ子ほうは「ゲームをやめる」ことができるんでしょうか?ひとつのゲームを諸事情で場合によっては強制終了させられても、また別の似たゲームに手を出さずにいられない、というのはありはしないですか?だってあの子たちはたいそう楽しそうだったから。心地良いことを忘れられるものですか?成人してもいじめをしてる人たちも大勢いるようですが。
 だとしたらいじめの被害者も加害者も心を奪われたまま…だということにならないでしょうか?加害者の方には自覚がない人が多そうですが。

 これら1から4までのパターンは長く続きました。中学、高校、大学、社会人になって…。実は現在でもこの傾向はかなり弱くなったとはいえ、まだあるのですよ。面目ないことに。老後に手が届く年齢になっても。
 これらのあいまに、なおもいじめに遭いました。
 男子の集団による物理的な暴力は中学まででした。それはある意味では運が良かったのです。彼らが殴る蹴るをしてた時幼いながらも快楽に酔いしれてたのに、なんとはなしに気づいていましたから。…あの紅潮した顔。ギラついた目。緩んだ口もと。打擲のたびに上がる雄たけびのような歓声…彼らがあと少し色気づいてたらと思うとゾッとします。

 そして、女子による精神を追いつめようとするいじめも定期的にありました。
 どうしてか、ある女子…いや。そういえば先生もいたし、就職してからもあったから女性といいましょう…に目をつけられて、目の敵にされてしまうのです。
 何度も経験したら慣れてきて、うんざりはするのですが「ああ。またか」という感じになりました。なぜターゲットにされてしまうのでしょうか?なかには言葉もろくに交わしたこともない人もいたのに。
 ひたいに焼印を『誰か』に押されたみたいだ、と想像したこともあります。だからこの顔を見て『誰か』に似た人は反応してしまうのだろうと。
 「ああ。似たような嫌味を『誰か』に言われたことがあったな」
 「通りすがりのクスクス笑い。『誰か』にもよくそうされたな」
 「取り巻きへの洗脳が『誰か』ほどもうまくない。あとでこっそりとこっちに謝りに来てくれた」
 「こんなところで罵倒するなんて…。ギャラリーがドン引き(当時はまだなかった言葉)してるよ。もうちょっと『誰か』みたいに取り繕ったほうがええんとちがう?自分の立場のためにも」
 今思い返してみると、そのさなかにこれらのような感想を持ってたような…。
 『誰か』というのはもちろんBさんです。
 Bさんを忘れたつもりでも意識下では比較していたのです。
 十歳の頃、Bさんとザネリを比較したように。
 こうして『いじめ加害者の女性たち』顔を一人一人脳裏に描いていくと…皆似ています。言動もそうですが、顔そのものの印象が…。

 色素の淡い瞳の大きな目をした、どこか猫を思わせる顔だち。

 まあ。たまたまそうだったんでしょう。

 こうして記憶の底をさらっていると、胸によぎるのは「やっぱりBさんが一番しんどかったなあ」という思いです。
 まあ。それは私自身が小さくて、弱くて無知で怖がりだったからです。
 そこそこ成長したら、不当な行為に対して、どうやって制止して反撃や報復もしくは遁走するか、ああだこうだと思い描いて夢想できるようになるでしょう。実行できなくともなんぼかの救いになるかもしれません。また知恵がついてきたら、いろいろ気を紛らわせることもおぼえるでしょう。親や先生がいい顔をしないことかもしれないけれど。行動範囲が広くなったら図書室以外の避難場所も見つけるかもしれません。
 彼女らとは、同じ場所にいたのはほんのしばらくの間で…感覚的にはかなりの長さ…いずれ離れ離れになりました。今ではどこでどうしているのか、わからない人がほとんどです。ずっと縁が切れないこともあるでしょうに、やはり私は運が良かったのでしょう。

 おそらく一番の私の『いじめ後遺症』は、人間関係において念頭に置いてるものが「危害、損害にあわない」ということなのでしょう。「あったとしてもできるだけ軽く済むように」
 明らかに、おかしい。
 普通の人はそんな発想すらしないと思います。当たりまえ過ぎて。
 でも今さら変わることはないでしょうね。

 あと少し、多分私特有の『いじめ後遺症』だと思われることを書きとどめておきます。

 子どもたちが内緒話してるのを見るのが、イヤ。
 『私のザネリ<4>』にあるように、内緒話はBさんにとって武器でした。モンスターのパワーを削ぐ、聖剣もしくは魔法の呪文(聴こえないけど)。さんざんそれで攻撃されたのです。
 学校帰り。あるいは公園で。子どもたちがたわむれてる。子犬のようにくっついて、ころころと転がるように…。私も人の子であったらしく、微笑ましく見るともなしに見てる。ふと、ある子がそばの子に顔を寄せて、耳と口を近づけて手で隠す…。一瞬私の呼吸は止まって、ため息が出て、目をそらし、急ぎ足で立ち去る…。
 それだけなんですけどね…。
 昨今、近所で子どもの姿を見かけることはめっきり少なくなりましたし、子どももそういう内緒話はあまりしないんでしょう。昭和の子どもがSFで夢見た未来の便利な機械…。空想を遥かに凌駕した情報通信機器の発達で、子どもたちの内緒話はいかほど闇の深いものになったのか…と思いをはせれば気が遠くなるぐらいです。

 座席指定のチケットが妙に嬉しい。
 コンサートでも劇でも列車でも胸がざわめくのです。
 運よく人気のアーティストのライブチケットに当選したとします。
 チケットが届いたら電灯に透かして見たりしてしまうでしょう。

例えばこんなふうに郵送されます。いわば招待状。

 やった。憧れの人に会える。生歌が聴ける。ワクワク。という喜び以外のかすかですが浮き立つようなくすぐったいような感じになるのです。
 S席 1階 Fブロック え列 26番  という座席だったとします。
 数字とアルファベットと五十音の無機質な羅列。
 それを確認してしまうのです。何度も。
 …つまりは「これはあなただけの席だ。あなたはここにいていいんだよ」と公認されることを、切望してるのですよ。今も心のどこかで。年を取っても。
 まあ。まもなく紙のチケットはなくなってしまうのかもしれませんが。

 もうこれで『茶色い目のザネリのはなし』はおしまいです。
 長らくおつきあいいただきありがとうございました。
 
 
 
 
 
 

 
 
 


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