私のザネリ<4>
ここで、私が今Bさんのことを『ザネリ』と呼ぶようになった決定的な事件をしたためます。
その時はただ似たようないじめっ子だと思っただけで、こんなふうに比較して分析めいたことをするようになったのはずっと後、大人になってからでしたけれど。
『銀河鉄道の夜』を初めて読んだのはいつだったか?Bさんとのことがあった以前なのか以後なのかも憶えていませんが、それはもともとうちにあった古い文庫本でした。おそらく父が学生のころ買ったもので、カバーはなくなって、ページは色あせて何ヶ所も剝がれかけていました。どこの出版社だったのでしょう?うちには子ども向けの本があまりなかったのです。
…そういえばBさんの部屋には子供向けの名作全集がそろっていたと、Bさんちにおよばれされた子が言ってたような…。私はみじめでBさんは恵まれて…そんなつまらない刷り込み…ほとんどは私自身によるもの…はこの手でさっさと放り捨てねば。でも、うちにあるからと、小さな子が松本清張を読むのもどうかと思いますが。
4年生になったころです。昼休みに私たちは校庭で遊んでいました。何をしていたんでしょう?10人ぐらいがほぼ均等に距離をとっていたので、缶けりでしょうか?陣とりでしょうか?いつもと変わらず楽しかったようです。Bさんがやって来るまでは。
Bさんが来た時、遊びに加わるのかと思いました。でもそうじゃなかったのです。Bさんは一人の子に近づいて耳うちしました。何を喋ってるかわからないように、その子の耳と自分の口を手で覆って、こそこそと…。そしてどこかへその子を連れて行ってしまいました。
まあ、その子に用事があったんだろうと、はじめは気にもしませんでした。でもまたBさんはやって来て、また別の子に耳うちして連れて行きました。「あれっ?」と思ってると、また戻って連れて行く、また戻って連れて行くを繰り返して、そこで遊んでいた子たちはだんだん少なくなっていきました。
「いったい何なんやろう?内緒の楽しいことかな?」とのんきに考えていました。「私のとこへも来るかな?」なんて…。
あと4人、あと3人というところでBさんは私を見ました。連れて行く子の耳に自分の口を寄せたまま横目でちらりと。茶色い瞳がぎらっと光って…なんともぞっとするようなまなざしでした。…今でも忘れられないほどの、何というか凄みがありました。
私ははっとして「あ。もしかして…」と気づきました。
…そして最後の1人か連れて行かれました。
やはりもう、Bさんも、あの10人ほどの子たちもそれっきり戻ってくることはありませんでした。
私は取り残されました。
校舎と校舎の間のいつもの遊び場が、やたらただっぴろく感じられました。
「わはっ」
失礼。つい笑いが漏れてしまいました。
「ははっ。すごいなあ。なんかホラー映画のワンシーンみたいやん。さすがBさん…」
今、こうして振り返ってみると、見事です。感動的なほどです。
人のメンタルに的確かつ強烈にダメージを与えるすべをすでに心得ていました。まだ幼い少女だったのに、これほどまでに狡猾だとは…。
私はそこに立ちすくんでたのでしょう。
だんだん何が起こったか、Bさんが何をしたのか理解できていきました。
あの内緒話は私の悪口や。
仲言さんはあんなふうにこんなふうに悪い子(きっとほとんどでたらめ)やから、遊んだらあかん。あっちへ行こう。と言うたんやろ。
…たまたま今さっき思いついて、そうしたんとちがう。前からそうしようと考えてた。ああしてこうしてと計画してた。ちょうどええチャンスが来たんで…。
ああやって、私の目の前からひとりひとりいなくなっていくんは…。
みんながおまえを嫌うんや。みんなが離れていくんや。おまえはひとりぼっちや。
そう私に見せつけて思い知らせるために…。
…私、Bさんに悪いことなんかしたん?
気が遠くなりそうでした。手足が冷たくなって、自分の身体が透き通っていくような感覚を憶えています。
皆さん。ここまで読んでくださって、Bさんがどんなふうに『仲間』を増やしていったか、おわかりいただけたでしょうか。
いじめっ子が『仲間』を増やすにつれ、いじめられっ子は孤立無援になっていくのです。それは時として暴言や暴力よりも追い詰めてしまいます。
休み時間が終わりました。教室に帰らないといけません。Bさんの、遊んでた子たちの顔を見るのが怖かったけれど…。みんないつもと変わらない様子のようでした。それで一人の子に尋ねてみました。
「Bさんはあの時なんて言うてたの?」
答えはやっぱり「内緒やって」でした。
『内緒話』というのは本当にうまいやり方です。
私がやめてと訴えても、もしも先生に言いつけても「仲言さんの話はしていない」と誤魔化せます。詰問されてもしらを切り通すでしょう。
だから、あの耳に口をよせて手で隠すポーズを見せつけられるのはことさらに辛いのです。ひどいことを言われてるはずなのに何もできないのが。Bさんもよくわかっていたのでしょう。その後も何度もやられましたが、楽しそうにこっちをちらちらとうかがっていました。
『仲間』になった子たちにとっても効果的でしょう。秘密の共有は連帯感を強くするといいます。ことに子どもが『いけない遊び』をする時は。ドキドキワクワクしてたかもしれません。それとこれは想像なのですが、「内緒やで」ということは「他の人に言うたらあかんで」ということで、この禁をおかしたら罰をあたえられる…ひょっとして仲言さんのような…と脅されていたかもしれません。
Bさんもよくこんなことを思いつけたものです。それとも誰かにどこかで教えてもらったんでしょうか?
冒頭に『決定的な事件』と書きましたが、それが起こったのは間もなくでした。
また昼休み、またあの場所で、女の子たちがあの遊びをしていました。この前より大勢、クラスの女子のほとんどがいたかと思います。
私もまぜてもらおうと、のこのこ近づいて行きました。Bさんもいると知っていても。あんなことがあったのにと思われることでしょう。ええ。本当にそうでした。でも私は浅はかな子どもだったし、そしておそらく、あんなことが現実だと、まだしっかりと受け入れられていなかったのでしょう。
ひどかったけど、まだいつものBさんの『いけず』の範疇だから。何もどうにもなってない。いつもと変わらない休み時間が続く。と。
かたわらの二人に「よって(方言で仲間に入れて)」と頼んだら、その子たちは「ええよ」気安く言ってくれました。
さて、どこに場所をとろうかと思ったら、あの声がしました。
「なんで仲言さんがいてるん?」
Bさんが睨んでいました。
「なんで⁈」
「…でも、〇さんと△さんがええって…」と抗弁しようとしましたが。
「わたしは言うてない!」と事もなげにはねつけられました。
「…」
「わたしは許してない!」
私は言い返せなかった。いや。声も出せなくなったのです。
逆らいようもない迫力…威厳と言ってもいいかもしれない…をBさんは放っていました。圧倒されたのです。
慌てて立ち去った。いや。逃げ出しました。
Bさんが怖くてひたすら怖くて…。
周りの子たちの顔を見るのも怖かったのです。でも涙が溢れて見えなくなったから…。
勇者は凶悪なモンスターを聖なる剣で打ち据えて、見事に退治しました。
この地に安寧をもたらした功績により、勇者に王位が授けられることになり、民衆は賛同しました。
新しい女王は慈悲深くも、罪深いモンスターを「王国の外に追放」にとどめました。
だけど、私は他にどこにも行くところがありませんでした。
昭和50年代は「子どもは学校へ行くのが当たり前」…。いや。「子どもが学校へ行かないなど想像もできない」という意識の人々が大多数でした。そんな子はよほど特殊な事情があって…特殊であることは旧弊な地方では特に許されなかったのです。
私は居場所のないところにいなければならなかったのです。ひとりで、ずっと。