私のザネリ<7>
それはCさんについての噂でした。Cさんと私はあまり話したことはなかったけれど、快活そうな子だという印象がありました。やはりBさんと同じクラスでした。
<4>CさんがCさんのお母さんに「わたし、もうBさんの言うこときくのイヤや。そやけどBさんが怖いんよ」と言った、らしい。
お母さんは「辛抱しなさい。仲言さんみたいに、何を言われても何をされても平然としてなさい。仲言さんは偉い。あんたも見習いなさい」と答えた、らしい。
ちがう。
この噂を聞いたのは、例によってうちの母で、私を「偉い」と褒められたのが嬉しそうでした。
「ちがう」とまた思いました。
「ちがう」という言葉で頭がいっぱいになりましたが、口から出てくることはありませんでした。
今なら言えるのに。
「Cさんのお母さん。Cさんに辛抱なんかさせないでください」
私は平然となんかしていなかった。自分がどんな表情をしてたのかはわからないけれども、きっと顔の筋肉がこわばっていたのです。寂しさや悔しさや悲しみなどをあらわすと喜ぶ人たちがいましたから。心の中では、さまざまな感情がすさまじい勢いで渦巻いていたのに。
私は「偉い」とされることをなにひとつしてやしない。やらないほうがいい辛抱というものがあるのです。勉強やスポーツなどでは耐えて、耐え抜いた先に成果が…たとえ目立った成果がなくとも、たくさんの得るものが、人間としての成長があるのでしょうけれど。
私の場合は、荒れ地のような心と擦り切れたような魂を長らく抱えることになりました。手にしたのは、いつまでもくすぶり続ける怒りとぬぐいきれない不安と根深い他人に対する不信…。ろくでもないものばかりです。
Cさんは私などよりずっと強く賢いのででしょうが、また「自分はいじめに耐えて良かった。こんないいことがあった」というかたも中にはおられるでしょうが、私はけっしておすすめしません。見習ってはいけません。
もしかしてCさんは、Bさんに自分の『仲間』になって『モンスター退治』を手伝えと命じられたのかもしれません。それもやめたほうがいいです。
弱い立場の人を餌食にするという経験は、できる限りしないほうがその人自身のためだと私は考えています。強者に無理じいされても、みずから楽しんでも、ただの考えなしでも。
子どもの頃は、どうしてもそんな過ちを犯してしまうものなのでしょう。私にも覚えがあります。でもなるべくなら少なく軽ければと願うのです。
時間がたってからでも思い出して、やってしまったことの罪の意識にとらわれて嫌な気分になるかもしれません。もしも、いつか大切な人が辛い目にあう立場になってしまう場合も心底からは共感して慰められない、としたら…。
「そんなの全然平気」という人も、まったく忘れてしまう人もいるでしょう。それは恐ろしくて哀しいことです。無感覚に無自覚にまた似たようなことをしてしまうかもしれないのが、恐ろしくて哀しいです。
それでは、いったいどうしたらBさんを止められたでしょうか?
正規の手順を踏んで、学校やBさんのおうちの人と相対して交渉する…のが理想なのでしょうけれど…。
「…あかん。思い出したらめまいがしてきた…」
当時のあの小学校は、ただひたすらに、なかったことにするか、でなければ、たいしたことがなかったことにするか、どちらかのところでした。押さえつけやすそうなものをグッと押さえつけて…状況によっては押しつぶして…。
Bさんの親御さんに直接抗議に行くのも…。どんなかたたちなのか全然存じ上げませんが、Bさんに似ていたとしたらとんでもなく気が強くて、自分の非を認めるどころか事実を無理矢理捻じ曲げてもひたすら都合のよい主張を押し通して、梃子でも動かぬのでしょうね。もしかしたら『えらいさん』…地場産業の経営者とかどこかの役人とか議員とか…と親しいかもしれません。
…そうとうな根気と労力が必要なことでしょう。
…だとしても,がんばっていただきたかったと思います。
…と、いうはやすし。
…小さな田舎町の限られた人間関係の中で、私たちは生活していました。そこで日々の糧を得て、家族を守り幼い者たちを育てていかなければならなかったのです。
昔ながらの古い価値観がまだまだ幅を利かせていたとしたら?その多数のもしくは声の大きい人の価値観にそぐわないとされる行いを「いらんこと」だと疎まれたとしたら?「いじめを明るみにする」ことも「いらんこと」だとしたら?
「子どもは元気なんが一番や。やんちゃなぐらいでちょうどええ。悪口は挨拶代わり。殴る蹴るはじゃれついてるだけ」
いじめっ子がこう擁護されがちだとしたら?とりわけ男子が?
「ちょっと言われただけで、ちょっと怪我させられただけで、ごちゃごちゃ文句たれて。あの家の親は『むつかしひとら』や」といじめられっ子の方の保護者が嘲笑されたとしたら?
『難しい人たち』だと呼ばれるのをC家は避けたかったのでしょう。
もしも『むつかしひとら』認定されても、その家の母親の近所づきあいや父親の仕事に、何かしらの影響があるかどうかは実際にはわからないのですが…。
危惧する人たちがおられたのでしょう。
うちの両親なんぞはビビッて…ビビッて、ビビりまくってたんでしょうね。巣穴の中のネズミみたいに…。
だから、私に言えるのは「Cさんのお母さん。せめてCさんの話を聴いてあげてください」だけです。
どんなことがあったのか。どんなにイヤなのか。どんなに怖いのか。腹が立つのか。悲しいのか。悔しいのか。言葉に詰まるかもしれないし泣き出すかもしれない。時間がかかるでしょうがCさんの気が済むまで。それこそ『辛抱』強く…。
うちの場合ほのめかしただけで、母は「またこの子は訳のわからん言うて」と鬱陶しげに睨みました。父はそれが自分にとって何かかかわりがあることだと、どうしても思えないようでした。
もう少し続けます。