学級崩壊・学校崩壊
先日、とある学校に訪れ全クラスの授業を参観する機会があったので、そこでの学びを振り返りたいと思います。
私と周りの感覚がずれているからかもしれませんが、前回訪れた時よりも学校が荒れていると感じました。
ですが、周りの声を聞いていると肯定するような話が聞こえてきました。
実際に現場を見ると、ある理念を手放しで歓迎するのはやめた方がいいと強く感じました。
授業が授業として成立しないクラスが多いように感じ、中には学級崩壊しているクラスもあったように思います。
自戒も込めて、こんなようにならないようにしたいと思った点をまとめます。
・授業が時間通りに始まらない、終わらない
・席が終始グループであり続けるため、子どもが喋り続ける
・聞く態度が育っていないため、教師の話や指示が通らない
・子どもが持て余す授業、聞き続けるのは大人でも苦しい
・教室のドアがないからこそ、良くも悪くも隣の様子がよくわかる
・授業における課題が子どもの知的好奇心に耐え得るものになっていない
・教師が押さえつける指導は高学年には通用しない、中学年までは誤魔化しが通用する場合もあるが高学年で爆発する
(1年生でも耐えられない場合もある)
・「子どもに委ねる」と言えば聞こえはいいが、教師が職務放棄していることになっていないか
・授業に参加できない子がいるのに、授業デザインはそのままでいいのか
・授業に参加できない子がいるのに、その子を放置し続けていいのか
・ある教育方法だけを盲信し、手段の目的化に陥っていないか
・赤刷を見ながらの授業でいいのか
兎にも角にも、授業の質が低すぎることが問題なのではないかと思います。
子どもが1日の大半を過ごす授業がつまらなければ、子どもが退屈するのもわからなくもありません。
実際に学生に戻った身であるからこそ、授業が一方向的であればあるほどつまらないことを実感しました。
学校における授業の大切さを内田(2022)は、居場所に視点を当てています」。
やはり、学校における授業は大切だと言えます。
子どもにとって「居場所を確保すること」は何より優先して行われることです。
無意識のうちに行なっていると言えます、さらに居場所がなくなれば代替行動で居場所を確保しようとします。
結果的にそれが学級・学校の荒れにつながるのでないでしょうか。
参考文献
内田樹(2022)「複雑化の教育論」東洋館出版社