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正力松太郎賞 三浦監督は名将になるのか?
お断り
今回の記事の中には一部の方に不快な印象を与える記述がございますことを予めお断り申し上げます。あくまで1ファンの私見ですので科学的根拠や歴史的史実に裏付けられた記述でないことをお詫びいたします。
ベイスターズ歴代の監督では上位の成績
2024年三浦大輔監督は日本一になりました。日本一になった監督は三原脩監督と権藤博監督と三浦大輔監督の3人だけです。三浦監督は来季5年目の指揮を執ります。ベイスターズの歴代で一番監督歴が長いのは三原監督です。1960年~1967年までの8年間監督をして509勝546敗で借金37が三原監督の成績です。別当薫監督が1968年~1972年途中までと1977年~1980年までの7年強監督しているのが次に長い監督歴です。別当監督は481勝496敗で借金15です。(休養後も含む)そしてアレックス・ラミレス監督が2016年~2020年の5年監督をして336勝337敗借金1です。三浦監督は2021年~2024年の4年で272勝276敗で借金2となっています。ベイスターズの監督を貯金で終わっているのは1年以上監督した中では権藤博監督の219勝186敗の貯金33だけが勝率5割以上です。三浦監督が監督5年目を全うして貯金で終わっていれば、ベイスターズの歴代の監督としては名将と言われてもおかしくないでしょう。
クライマックスシリーズ、日本シリーズで強くなった理由
ベイスターズは2023年苦手だった交流戦で優勝し、2024年クライマックスシリーズ優勝、そして日本シリーズで勝利して日本一になりました。二軍もファーム日本一になっていて、DeNAになってからリーグ優勝以外のタイトルは獲得したことになります。三浦監督は継投などで「?」という采配もありましたが、クライマックスシリーズ以降は大胆な継投や走塁、守備シフトが見事に当たっています。2024年から靏岡オフェンスチーフコーチ、大原チーフ投手コーチがアナリストからコーチに転身して、作戦面を監督に進言するコーチとして一軍に配置されました。シーズン当初は2人のコーチと三浦監督が激論を交わす場面もあり、投手交代が遅れて負けた試合も散見されました。クライマックス以降は故障者が増えてきたこともあり、データからの作戦を三浦監督が忠実に指揮に落とし込んでいたような感じがします。三浦監督は元々「ドジャースの戦法」と言われる、野球通ぶったファンが好きなセオリーのような70年前の古い野球のスタイルが好きです。三浦監督がプロ入りした当たりは、戦前の野球スタイルである「ドジャースの戦法」を忠実に再現した森監督の西武や野村監督のヤクルトが強い時代でした。三浦監督も入団1年目の須藤監督、2年目からの近藤昭仁監督は「ドジャースの戦法」の申し子的な監督でしたので、98年V戦士と言われる石井琢朗、齋藤隆、鈴木尚典といったコーチと共にデータに拠ったラミレス前監督の野球から変更した部分がありました。そこが今季から配置されたアナリスト出身コーチが進言する作戦と食い違う部分でした。短期決戦では腹を括ってデータ勝負に出たことで、三浦監督は日本一になれたと言っても過言ではありません。
リーグ優勝への課題
3月~11月まで試合をしていたベイスターズは故障者が続出しました。しかし、野手についてはオースティンが22,23年故障で試合に出場できなかったことを教訓に、度会、筒香、フォードを補強して、不調や故障の選手が出ても代りの選手が活躍できる体制を作りました。その中で梶原がブレイクし、最終局面では森敬斗がショートのレギュラーとしてアピールしました。捕手も山本がケガしても、伊藤光、戸柱がフォローし、伊藤光も離脱しても松尾が出てくるという極めて層が厚い状態ができました。投手は最終局面でジャクソンとケイを中5日で回したりしながら、苦しみました。そこを埋めるべく、ドラフトではすぐ一軍で使えそうな投手を複数獲得しました。現代のこうそく事の中には一部の方に不快な印象を与える記述がございますことを予めお断り申し上げます。あくまで1ファンの私見ですので科学的根拠や歴史的史実に裏付けられた記述でないことをお詫びいたします。
ベイスターズ歴代の監督では上位の成績
2024年三浦大輔監督は日本一になりました。日本一になった監督は三原脩監督と権藤博監督と三浦大輔監督の3人だけです。三浦監督は来季5年目の指揮を執ります。ベイスターズの歴代で一番監督歴が長いのは三原監督です。1960年~1967年までの8年間監督をして509勝546敗で借金37が三原監督の成績です。別当薫監督が1968年~1972年途中までと1977年~1980年までの7年強監督しているのが次に長い監督歴です。別当監督は481勝496敗で借金15です。(休養後も含む)そしてアレックス・ラミレス監督が2016年~2020年の5年監督をして336勝337敗借金1です。三浦監督は2021年~2024年の4年で272勝276敗で借金2となっています。ベイスターズの監督を貯金で終わっているのは1年以上監督した中では権藤博監督の219勝186敗の貯金33だけが勝率5割以上です。三浦監督が監督5年目を全うして貯金で終わっていれば、ベイスターズの歴代の監督としては名将と言われてもおかしくないでしょう。
クライマックスシリーズ、日本シリーズで強くなった理由
ベイスターズは2023年苦手だった交流戦で優勝し、2024年クライマックスシリーズ優勝、そして日本シリーズで勝利して日本一になりました。二軍もファーム日本一になっていて、DeNAになってからリーグ優勝以外のタイトルは獲得したことになります。三浦監督は継投などで「?」という采配もありましたが、クライマックスシリーズ以降は大胆な継投や走塁、守備シフトが見事に当たっています。2024年から靏岡オフェンスチーフコーチ、大原チーフ投手コーチがアナリストからコーチに転身して、作戦面を監督に進言するコーチとして一軍に配置されました。シーズン当初は2人のコーチと三浦監督が激論を交わす場面もあり、投手交代が遅れて負けた試合も散見されました。クライマックス以降は故障者が増えてきたこともあり、データからの作戦を三浦監督が忠実に指揮に落とし込んでいたような感じがします。三浦監督は元々「ドジャースの戦法」と言われる、野球通ぶったファンが好きなセオリーのような70年前の古い野球のスタイルが好きです。三浦監督がプロ入りした当たりは、戦前の野球スタイルである「ドジャースの戦法」を忠実に再現した森監督の西武や野村監督のヤクルトが強い時代でした。三浦監督も入団1年目の須藤監督、2年目からの近藤昭仁監督は「ドジャースの戦法」の申し子的な監督でしたので、98年V戦士と言われる石井琢朗、齋藤隆、鈴木尚典といったコーチと共にデータに拠ったラミレス前監督の野球から変更した部分がありました。そこが今季から配置されたアナリスト出身コーチが進言する作戦と食い違う部分でした。短期決戦では腹を括ってデータ勝負に出たことで、三浦監督は日本一になれたと言っても過言ではありません。
リーグ優勝への課題
3月~11月まで試合をしていたベイスターズは故障者が続出しました。ずばり選手層が厚くなければ、リーグ優勝はできません。野手についてはオースティンが22,23年故障で試合に出場できなかったことを教訓に、度会、筒香、フォードを補強して、不調や故障の選手が出ても代りの選手が活躍できる体制を作りました。その中で梶原がブレイクし、最終局面では森敬斗がショートのレギュラーとしてアピールしました。捕手も山本がケガしても、伊藤光、戸柱がフォローし、伊藤光も離脱しても松尾が出てくるという極めて層が厚い状態ができました。投手は最終局面でジャクソンとケイを中5日で回したりしながら、苦しみました。そこを埋めるべく、ドラフトではすぐ一軍で使えそうな投手を複数獲得しました。現代の高速野球では投手が大怪我をするのは当たり前であると考えるべきでしょう。150km/hを超える速球は人間の限界を超えていると言われます。それを15,6歳から投げさせている日本のアマチュア野球のトップ選手たちがプロ入りするわけですから、ケガをする前提でチーム編成をしなくてはいけません。今回のドラフトで24歳以上の体が出来上がった投手を2人獲得したことは、非常に大きな意味があります。三浦監督はこの4年間で選手を交代交代で、常に入れ替えながら試合運営することを学んできました。これからの野球ではレギュラーが何年間も固定できるという考えは通用しません。打順も含めて、柔軟に入れ替えることが大事になってきます。まして投手は先発、リリーフを入れ替えることも含めて、支配下登録選手を全部使い切るぐらいのことをしないと乗り切れない可能性があります。
正力松太郎賞とは?
その年の日本のプロ野球の発展に大きく貢献した人物を対象として贈られる賞です。1977年通算本塁打世界記録を樹立した王貞治さんが初の受賞者です。ベイスターズでは1998年日本一の時に佐々木主浩投手が受賞していて、監督としては三浦大輔監督が球団初受賞です。