大手製造業を辞めて、僕が土木の中小企業の跡継ぎを決心した理由 2)大学時代その1
ご安全に。 べいです。
10月に入って涼しくなるかと思いきや、今日は暑かったですね。
10月以降は頻度を決めて、書き連ねれるように頑張りたいと思います。
今回は、前回の記事の続きを書きます。
①通学
大学は家から電車を乗り継ぎ、片道2時間の距離でした。
当然、下宿…といいたいところですが、弟たちもいる中、通学することにしました。
これを言うと、時間もったいない!とかしんどいでしょ?とか言われるのですが、案外そうでもなかったんですよね。
最寄り駅が朝6時半くらいに始発駅となっており、鈍行ですが座れたので、本を読むのにちょうどよかったんです。
昔からちょくちょく本を読んでましたし、暗黒の浪人時代も近くの古書店に行っては、カビカビな感じの文庫を100円で買って読んでました。
この時期、いろんな本を読んでいたことが今思うと財産だったのかなと思います。
大人になると、時間もないこともありますが、なかなか腰を据えて本を読むことって、資格試験くらいしかないので…学生時代が一番本を買って、本棚が溢れていた時代でした。
②部活動(塾講師)
大学生になって、多分に漏れずアルバイトを始めました。
気が付くと、中学の時に通っていた塾でアルバイトしてました。
合格挨拶したら、「いつからシフト入れる?」てな感じでした。
塾は中学生メインで教えており、得意の数学・理科を教えてました。
集団事業で最大10数名を相手に、一心不乱に教えていました。
夏休みは朝8時くらいから入って、夜10時くらいまで居残りの子を教えて、先生たちと12時くらいまでおしゃべりして…当時はアルバイトじゃない、部活やなぁと笑いながら話していました。
結局、院生も含めて6年間みっちりやることになるのですが、いくつか得たことがあります。
塾で得たこと①:分からないことをはっきりさせる技術
私が働いていたのは個人塾でしたが、先生(アルバイト)の数もそんなに多くなかったので、数学・理科はほぼ一人でやっていた時期もありました。
昔勉強していたとはいえ、人に教えてできるようにさせるというのは、なかなか難しいものです。
最初は、できない子が何でできないのか分からなかったことが多くありました。(まがいなりにも数学・理科は得意だったので)
ごくごく当たり前のことを言いますが、問題が分からないとき、どこが分からないか分からないのが問題なんですよね。それが分かるんやったら苦労ないってやつです。
ただ、できない子の大半は、ほかのできる子と同じように解こうとするけど、何をしたらいいのかわからない。とりあえずなんか書こうとはするけど、自分で何書いているか理解してない。
なので、特に数学ですが、ノートは行を開けてすべて回答するように指導しました。また、わからなかったらすぐ回答を見て、空いた行に書くように指導しました。
これって、自分の資格勉強でもそうなのですが、云々考えるよりも、さっさと答えをみてしまう方がいいんですよね。
しかし、ただ写すのではなく、その考え方の根本がどこから来ているのか、をはっきりさせることが大事なのです。
塾生には、今書いたこの答えは、授業やテキストで二重ラインで囲まれた大事なところと一致しているよ と気づかせることが大事なのだと感じました。
分からないことを原理原則と照らし合わせて、自分で腹落ちする瞬間…初めて理解が進むことを、自分や塾生とのやり取りの中で悟りました。
わざわざ太字にすることでもないのですが、塾生がどこまで腹落ちしているのか、それを見極めて教えていくことが塾講師としての実力です。講師最後の方は、答案やノートを見るだけで、見かけの点数だけでなく、伸びしろまで見えるようになっていたので、自分の成長を感じた瞬間の一つでした。
塾で得たこと②:相手の懐に入る技術
私はかなりのおデブちゃんで、身長も180cmほどありますので、中学生の、特に女の子には非常に気を使いました。 よく考えて下さい、身長20cm以上の差があって、体重倍ぐらいある生き物、私ならちびってしまうかも。
なのでというわけではないのですが、極力明るいキャラで、それとなくいじられるくらいのキャラでいこうと思っていました。
スーツで授業していたので、ネクタイをいろいろ変えて、周期表が書いたもの、ブタさんが書いたものを付けたり、授業前に3分ほどネタというか、日常で面白かったことや世間の流れなんか踏まえて話したりと、まぁいろいろやったと思います。
結果としては、面白がってくれる子を中心にして、かなりいじられるようになってきたので、正解だったかなと思います。
これもごく当たり前なんですが、情報って中身がどうというより、信頼できる人からの情報であるかどうか の方がはるかに重要視されるんですよね。
なので、新しい子を教えるときは緊張しましたね。初めは教えることよりもコミュニケーションとる時間をわざと多めにしたりしてました。
もちろん、私に「ハマって」くれる子もおれば、そうでない子ももちろんいました。しかし、6年も続けてくるうちに、なんとなくコツ的なものが見えてきました。
その一つは、「自己開示をこれでもかというくらいやる」ことです。
授業の初めの時間や、その他の時間も含め、かなり意識的に自己開示をやってました。しょーもない話でも、自分の体験や考えていること、好きなこ戸を話していくと、親近感を持ちやすく、かつ自分もこんな話があるよと話しやすくなります。(心理学的には返報性というらしいです)
今でも塾生は、ガリガリ君の梨味を見るたび、大きなおじさんがそのおいしさやコスパの良さを力説していたことを思い出していると思います笑
これらの塾での経験が、後々の工場勤務で活きることになろうとは、このとき夢にも思っていませんでした(伏線)。
( 3)大学生活その2へ続く)