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自分にダイヤモンドを贈る(朝日歌壇掲載に寄せて)

昨年の11月から、短歌を詠み始めました。
お題に応える形で1日1首、強い感情があればもう少し詠む、と言った形でのんびりと続けています。

不思議なもので、まとまった文章を書くよりも短歌の方が、より明確に自分の心の輪郭をなぞれることもあるのではないか、という手応えを感じています。あくまで私にとって、ですが。

文章にしようとすると、「時系列は合っているか」とか「詠みやすいだろうか」などに気を取られてしまい、肝心の感情部分へのフォーカスが甘くなってしまうこともあるということに、短歌を始めてから気づきました。

さて、ひとつ前の過去の演歌バッグ記事のとおり、このところの私はぐずぐずとした怒りを抱えて生きています。
職場では立場の弱さもありヘラヘラしていることも多いのですが、内心はまったく穏やかではありません。
現職からのハシゴ外され+職探し+現職の年度末業務のトリプルコンボでさすがに気が滅入っています。先日もどうしても頑張る気力が湧かず、午前中の仕事を休んでしまいました。

悔しくて苦しくて、それでも仕事は精一杯やらなくてはいけないし、やりたいとも思っている。
ただ立場上、理不尽に対して声を上げることはどうしても難しい。
そんな身動きの取れない怒りを抱えています。

ひとつ前の記事を書きながら散々泣いた後、この怒りを初めて短歌の形にしました。

非正規の我の残した引継書だれが怒りに気づくだろうか

元々、過去の仕事でつらかった事象やメンタルをやられた経験から着想を得ることが多く、仄暗い感じの職場詠は取り組みやすいと思っていました。
が、ここまでストレートな怒りをぶつけるのは初めてのことでした。

できあがった歌は『詠んだ人がうれしくなる歌』とは言えませんでした。
だけどいま1番の剥き出しの感情を、いまの私が持ち得る言葉を使って誰かに伝わる形にすることはできた、とは思いました。

その歌を朝日歌壇に送ったところ、3/2付で永田和宏先生に選と評をいただきました。

朝日歌壇3/2 馬場あき子 佐佐木幸綱 高野公彦 永田和宏選:朝日新聞(有料記事ですが3/3 8:57まで無料でお詠みいただけます)

採用の電話をいただいた時、真っ先に浮かんだのは「届くべきところに届いた」という言葉でした。
詩情があるかと言われたらわからないですし、みんなが好きな歌じゃないだろうという自覚はありました。
一方で、私がいま抱えているこの最も脆くて強い感情は、私のものであり私だけの感情ではないだろう、とも確信していました。
なので、選と評を通じて世の中に広く届ける必要がある歌だと思ってもらえたことを途方もなくうれしく思っています。

また、私自身がこれからどんな歌を作っていくのかというのを考える上で、「この方向の掘り下げ方は間違っていないんだ」という安堵も感じました。
剥き出しの感情を飾りすぎずに詠むことや、一般的なイメージを常に自分なりに疑っていくことを意識しています(未熟なりに)。
今回の歌も、どうしても直接ぶつけることができない怒りを歌にしたわけですが、短歌を通して究極の反抗をやっていたのかもしれません。

ところで、新聞に投稿してまでこんなことを言うのもおかしな話ですが、詠んだ時点では、両親にこの歌を読まれることをまったく想定していませんでした。
ウキウキで採用の連絡をしてから気づくというまぬけぶり。
両親は私がこういう質感の歌を詠むために大学に行かせてくれたわけではないだろうな、という申し訳なさがないわけではないですけどね(※補足あり)。

とはいえ、この歌を詠み切ったことで「短歌の中でまでいい子でいなくてもいい」と気づくことができました。
剥き出しの感情をもっともっとぶつけていいんだ!という嬉しさも感じています。
自分の内側にあるものをまっすぐ言葉に託すことを、もっともっと磨いていきたいです。

※補足:両親が私に対して否定的という意味ではなく、
①「親としては心配な状況」が長く続いていることに対して私自身がずっと引け目を感じている
②なのに歌の中だったらこんなにも思い切って感情を出せるものなんだなとびっくり
③詠んだ時点/投稿した時点では①の引け目は全然感じなかった自分に対してもびっくり
という流れです。

*****

掲載のお知らせをいただいた後、真っ先に向かったのは新宿伊勢丹でした。

以前、相棒となるマットな銀色の指輪を探していた時に試着させて貰ってから忘れられなかった『RyuiのShami ring』を買うためです。今回の件で考えたこと・感じたこと、特に「いい子でいなくてもいい」の部分をいつでも思い出せるような指輪が欲しかったんですね。
それには、しっとりと光り適度な重みのあるShami ringが相応しいだろう、と考えました。

正直なところ、この先がどうなるかわからない状態で購入するには、私としてはだいぶ不安な金額ではありました。
ただ、なぜだか分からないけれど今日を逃したらすごく後悔してしまうのでは、という予感も強くありました。
まあ、物欲のこじつけと言われればそれまでですけどね!

ともかくデザイナーさんに指のサイズと銀のShami ringを着けてみたいことを伝え、いくつかのリングを出していただきました。

実は初めは、大きな真珠があしらわれたタイプを購入するつもりでいました。

真珠は大好きですし似合いもします。道中では、これからの表現活動を支える上で、真珠が柔らかく照らしてくれたらうれしいなあ、なんて想像もしていました。

実際に在庫を見せてくださったものも、どれも素晴らしくすてきでした。とりわけ1番初めに見せていただいた、虹色に光るまんまるの真珠がしゃぼん玉みたいでとってもかわいくて!私の光はこれなんじゃないかな、とぼんやり夢見心地になっていました。

既にニコニコしている私に「こちらの石付きもどうですか」と出していただいたのが、小さなダイヤモンド付きのSyami ringでした。

瞬間、ダイヤモンドのギラリとした光と目が合った、と感じました。

こんなに小さな石がこんなに強く輝くなんて。
そう気づいた瞬間、「いまの私が持つべき光はこちらだ」と確信しました。

甘く柔らかい光は、心から大好きだし似合いもする。
だけどいまの私が「なりたい」のはどんなに小さくても輝く強い光だったんだ、とここで気づきました。

見せていただいたダイヤモンドのSyami ringは3本。確かオリーブ、ブラウン、アイスブルー。
最初に見せていただいたオリーブの輝きと悩んだ末、アイスブルーのダイヤモンドを選びました。

私の指にダイヤモンドがあるぞ!という主張を1番くっきり感じられたこと、私にとって『純度が高い』というキーワードと結びつく氷や澄み切った空を思わせる色味に惹かれたことが決め手でした。温度の高い星ほど青く光る、という連想もしました。

お会計を済ませ指輪が私のものになった後、本当にうれしくて、伊勢丹で半泣きになってしまいました。(家に帰ってからは布団をかぶって本格的に泣きました、この歳になってもそういう泣き方ばかりしています)

指輪は着けて帰ったのですが
箱と袋をきれいに包んでくださいました
しっとりとした金属の光と
キラキラしたダイヤモンドのコントラスト
(写真の腕がなくて全然伝わらない……)
真珠のD ring(mmm jewelry)との
組み合わせも大好きです。
(実際のダイヤモンドはもっと青いですが
なかなか写らないじゃじゃ馬ちゃんです)

思えば、自問自答ファッションに取り組む中で初めて、「なりたい」の職業部分を意識した買い物ができたかもしれません。

実は未だに最新のコンセプトが固まり切っていないのですが、教室を受講したあと、職業の部分だけは『野心家な表現者』と決めていました。

教室でキーワードを探していたときに『アーティスト』という言葉に、私、めちゃくちゃ泣いてしまったんですよね。
泣いちゃうくらい、自分の中に強烈な「なりたい」があるのならばそれは無視しちゃいけないよなと思えたのは、教室のおかげでした。

そうしてちょっとずつ積み重ねたことがこんな形で報われるなんて、人生って不思議ですね。

この歌が、この指輪が、まだ私の中でうまく腑に落ちていなかった私の「なりたい」を形として見せてくれたんじゃないかな、なんて気もしています。

この指輪と一緒にどんな表現ができるか。
自分のこれからにとてもわくわくしています。
自分の感情の底の底まで向き合い言葉を研ぎ澄ませることに、腹を括り野心を持って挑んでいきます。
かっこよくてしっかりした重みがあって、内側には小さくても強く輝くものを秘めている。
そんな表現ができる人に「なりたい」です。

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ばやしこ
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