いつもTシャツだったりスウェットだったりした。近年シャツを買いそろえたケドやっぱり着なかった。最近ようやくしっくり来る着方が出来る様になった。多分慣れたんだと思う。沢山蓄積があるから取り返すようにきよう。そして洗おう。シャツを着よう。
私の場合早起きは人生を豊かにする。 夜に憧れた時もあったし部屋に籠って映画や音楽の世界に入り浸ってサブカルを溜め込みたかったが私の場合合わなかった。 映画も朝、音楽も朝、特に5時前から動けたら超最高。 出勤までの3時間一番体力がある時に何をするか。 帰ってからの3時間より始まりまでの3時間。 熱い内に料理を食べたい的な感じなのだろうか。夜になるにつれ体力、気力も消費しきってしまうからさっさと寝て朝色々する方が幸せを感じやすいのだ。 夜が合う人も居ると思うが私は断然
多分私はスパイス的な役割を果たす事が多いのではないかと思う。 毎日は要らない。たまにで良い。 だから私と頻繁に絡むと色々と私の味になってしまう。 それが相性の良い場合なら問題ないのだが悪いとか普通の場合はあまり良い結果にならない。 さしすせそ のように対応力が広ければまた、違うのだろうが残念ながらそっちでは無い。 それを何となく思っているからか基本人とはサーフィス(上っ面)だけで個を消し生きる様に勤めている。 その方が仕事や話が円滑に進むからだ。 私が私を全面に
昔から何かのパッケージが良いとつい欲しくなってしまうのだが、最近それが加速しているのかやたらとパッケージが欲しくなってしまう。 きっかけは何だか忘れたが仕事の道具もキムチの入ってたプラスチックの容器やゲーセンで取ったポリンキーにコーヒーの豆をしまってみたり。何かと意識してしまう。 良く考えたら、洋服だって自分へのパッケージだしそれでテーブルや車内、部屋内を組み合わせるのが好きなんだと思う。 YouTubeやブログの丁寧な暮らし系で白いお皿や木のお皿なんかみて素敵と思うの
私は賢くない。だから頭で分かっている事も一度実感として体感しないと納得しない場合がある。 指をぶつけると痛いもどの程度痛いのかとか。この道遠回りと分かっていてもどの程度時間や道が変わるのか、通ってしまうとか。 そしてその経験に基づいて、痛いけど我慢できる程度とか、遠いし道も路面が荒い狭いとか。 そんなのをしりたくなってしまう時がある。 私はそう言う意味ではまだ何も知らないと思っている。それが役に立たなくても無駄でも後悔しても知りたいときがあるのだ。
洋服を育てる。なんて言葉を聞くが私も、それが好きな人間だ。 縫製の合間やライフスタイル、癖なんかから出てくる固有の色落ちやダメージを見て思い出に浸る事もある。 私は一時DVDやCDを毎週末漁りにいっていたが中腰の時左手を太ももに着けて探すからかその当時のデニムは左太ももだけ異様に色が落ちている。他にも当時の財布の形でダメージが入ったりしている。 勿論デニムパンツだけではなく上着も同様だ。 様々な顔を見せる洋服達、そしてこれから新しい顔を見せるであろうモノ達、想像も出来
私も少しばかりヴィンテージを持っているが最近は現行の物を沢山着て洗って直してを繰り返すのに夢中だ。 ヴィンテージは大変雰囲気も良くその時代や土地の背景から今ではまったく意味のなさそうな、非効率的なギミックが逆に可愛く見えたりする。 きっと今の服も後何十年後かにはそうなってて、もしかしたら汚れない、破れない、へたらないと言う完全無欠素材とか出るのかもしれない。 今1000円とかの現行ヘインズがパックで残ってたら何万円とかになったりして。 なんて思いながら私は今日も洗濯を
私は良く適当に出掛けて適当に降りて適当に歩いて何か色々楽しい~ってなるアホな体質なのだが、この行為をランブリングと言う事をしった。 ウォーキングって程しっかりしてないし、散歩と言う程歩く事を目的としていなくて何となく歩いている。息があがらない程度に会話しながら歩く。神社に行って近辺を歩くとか、曖昧な歩く事を指すみたい。 確かに私は年中そんな事をしている。そんで小さな滝見付けたとか畑に猫が居たとかそんな事ばっかりやっている。 昨日も滝に行ってきた。 お気に入りの滝だ。
実家の掃除をしていたら昔スリッパ入れにしていたらしい棚の外枠だけ出てきた。何となく使えそうな気がして雑巾掛けしてみたんだが使い方がイマイチ分からず取り合えずTシャツを入れてみた。 私は今、Tシャツの収納にミリタリーロールを採用しているのだが、どことなくバーバーのホットタオルが収納されている(訳が無いのだが)様な気がしてきたので適当にタトゥーフラッシュっぽい絵も飾って瓶的なのとかのせてみた。 完全にフェイク野郎なんだけどなんかこれはこれで気に入ってしまった。
ツバメ君 おかえりなさい
私の周りには所謂ワンマンと言われる人が何人か居る。その人達と割りと近くに居るからか見えてくる部分があるのだが彼等に共通する項目がある。 身内に異様に執着し責める。 何故だか距離のある人(初対面だったりやたら歳が離れてたり)には異様に良い顔をしたがる。思われたい理想像をコントロールしているんだろう。実際は理想像な為、自分がソコに達していないと自覚しているからか、周りがその話を鵜呑みにして彼等をチヤホヤしようがその溝は埋まらなくいつも余裕が無くピリピリしている感じだ。 その
私は野鳥を見るのが好きだ。 出先で木とか水辺に居るのを見つけると遠くからずっと見ていられる。 私の会社には毎年ツバメが来て巣を作って巣立つのだがひたすら眺めているだけでも心が穏やかになる。 最初はうんちの掃除とかネガな事を考えてしまっていたが今は毎年帰ってくるのが楽しみだ。 ちなみに、ツバメだけで無くスズメとセキレイも来る。今日は洗車した後の水溜まりで水遊び?水浴び?をしていた。とても微笑ましいし平和だ。心が柔和になる。 色々、鳥にまつわる幸運の話はあって根拠も色々
今日はお休み。と言ってもやる事は沢山ある。 家事を適当に終わらせて来週の仕事の梱包材や庭の枯葉、何かを燃やす。 平行して帽子の汗染み落としのために洗浄液を作って沈める。 洗濯が終わり干す。 梱包材が終わったら仕分けをし倉庫の掃き掃除。それが終わったら寝床の掃除機と雑巾掛け。灯油も買いに行かなきゃならない。 そんな事を考えながら一服をしているのだが朝5時から細々やってるからかまだ8時前。 贅沢な朝だ。
私はプレゼントをあげるのが苦手だ。 誕生日、記念日、お土産、それなりにきっかけがあるがどんどん深掘りして結果、裏目に出てしまう。 考えている内にプレゼントと言うより私の趣味の押し付けになってしまっている気がする。 例えば、恋人に相手の事を沢山想像して服なりアクセサリーなりをプレゼントすると思いの外使われていなかったりす?。 その使われていない事にすら何かを思ってしまう。それも私の押し付けなのだ。 などと考えていると考えが堂々巡りしてしまい。結局まとまらない。 その
最近ウエストにゴムが入ったパンツを履く様になった。昔の自分からすれば論外なのだが最近、逆に新鮮に感じてしまうようになった。 きっかけは色々あるのだが今の服って凄くてゴム入りでも全然野暮ったくならないのがある。 パターンの作り方が上手なんだと思う。 最近そんな訳で二本ゴム入りのパンツを新調した。セミイージーパンツなんて世間では呼ばれているらしい。 フロントや再度はスッキリしてるんだが背面だけゴムってヤツ。これがすこぶる調子が良い。 素材も多種多様にあるから形と丈を合わ
洋服は洋服。 寒ければ厚着をして暑ければ脱ぐ。 やれファッションとか言われても良く分からない。けど買ってしまう。 奇抜な服やギミック満載の服。 私は着たいから着ていたのだが最近合わせることを少しだけ意識しだした。 以前は洒落たカフェでも場違いな格好をしてみたり所謂、逆張り的な事をしていたのだがそもそも基礎がなっていなかったのだ。自分→服→場所と言う考えだったのかもしれない。よく考えたら服屋ばかり行っていたから服屋に合わせた服を選んでいたのかもしれない。 そんな初期