【小品文】ひらめきは思考のきらめき
例えて言うなら。
いきなり、エベレストに登ろうとして、登れない。
できない。
私には無理。
そうして、やらないできたことの、なんと多かったことか(^^;
出来ない自分が赦せない。
だって、出来ない自分は、ダメな存在だから。
だって、出来ない自分は、価値がないから。
そんなビリーフ(信念・価値観)を持っていた。
出来ない自分は、ダメだから、やらない。
やらなければ、少なくとも
「できない」
ことにはならないから。
でも、いきなり、エベレストに登るなんて、そんなの誰だって、不可能なことです。
なら、まずは、近所の山でも、いいんじゃないでしょうか。
でも、それもダメだった。
だって、そんなことしか出来ない自分なんだって、認めなければならないから。
だって、そんなの誰だって登れるじゃない!
でもねぇ~
じゃあ、だからって、近所の山にも登らなかったとしたら?
それすらも、出来ない自分しか、残らないんじゃない?
最初は、よっぽど才能と環境に恵まれた、ほんの一握りの人以外。
誰だって、近所の山から始めるものなんだって思います。
近所の山だって、立派な山だって、思って登るか。
近所の山なんか登ったって、何の意味もないと思うか。
その始めの違いが、人生を、決定的に、分けることにつながっていくのだと、そう思います。
近所の山から登り始め、いつか、富士山に登れるようになり。
やがて、エベレスト登頂を、手にするのか?
それとも、近所の山すら登れないという結果を、手にするのか?
決めるのは、自分次第なんですよね(^^)
登山道は、人生と同じ様に、よく見れば、それは、
「変化」
という、ひとつひとつの点の集まりだと、気づけるはず。
まずは、影の形やコーヒーの香りから、空想を飛ばそう♪