【雑文】普通に生きてきて誰も教えてくれなかったこと
■「やっぱり近道はないよ 真ん中の王道が近道なんだよ」
タモリさんの言葉です。
これ以外にも、以下のようなものもありました。
「まあ、私も結構活躍しているみたいなんですけども、宇宙から見たらもう、どうでもいいですね」
「人間って
『自分がいかに下らない人間か』
ということを思い知ることで、スーッと楽にもなれるんじゃないかな」
「好きな言葉は『適当』」
これらの発言を読んでいると、タモリさんの心の中では、常に、何らかの、ん~
例えば、こんな・・・
▶才能よりも出会いで人生は変わる
▶高い困難の壁も横からみれば薄っぺらい
▶人生は思った通りではなく行動した通り
▶言葉は人を傷つけるが勇気づけることもできる
▶爽やかな挨拶の数=チャンスの数
▶人生に遅すぎるということはない
▶大人になったら先生は選べる
▶路有る所空缶転がり草の名も知らず生きる
▶美しい世界≒矮小な私×今のまま生きる術
機能を有した
「バランスをとる装置」
が働いているような気がします。
場所や状況に合わせて、極端な態度をとることなく。
どんな場面でも淡々と。
これが生きる上で、最も重要だということを、経験の中から学ばれたのでしょう。
私たちも、是非、見習いたいところです。
【参考図書】
「タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?」(文庫ぎんが堂)戸部田誠(著)
「タモリ伝 森田一義も知らない「何者にもなりたくなかった男」タモリの実像」(コア新書)片田直久(著)
「タモリと戦後ニッポン」(講談社現代新書)近藤正高(著)
■楽天主義
目はめしい、耳も聾したヘレン・ケラーは、プラトンの観念の世界において特別な意味を発見したんですねぇ(^^)
人々が目で見、耳で聞き、身体で触れるものはみな、実在界の事物ではなく観念であり、真の原理ではなくその表現で、実在の不完全なコピーにすぎない・・・と。
盲・聾であったからこそ、不完全なコピーにすぎないものに惑わされずに、真実そのもの(それは観念である、とヘレン・ケラーは言っています)を発見することができたんだと思います。
【関連記事】
■わからぬがよろしい
[テキスト]
「生くる」執行草舟(著)
そうなのだ。
自然も。
書物も。
口を利けないのに・・・
人生や、人の心、果ては、あの世から宇宙、そして未来にまで・・・
現代人は、物事を理解し、わか(分/解/判)ろうとし過ぎる。
魂の対話なき、触れ合いも、読書も、それらと接していると言えないのではないだろうか。
前へ進むためには、余計なものを捨てても、捨てたことにはならない。
[課題曲]
倉橋ヨエコ「昼の月」
誰かに頼まれなくても ゆらりゆらゆら 生きてみるさ
1日1枚づつ千切る暦が私を蔑ろにしても さらりさらさら 生きていくさ
[発想の転換が自分を動かす]
「夜と霧」ヴィクトール・E・フランクル(著)池田香代子(訳)
「生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。
わたしたちはその問いに答えを迫られている。
考えこんだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。
生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。
この要請と存在することの意味は、人により、また瞬間ごとに変化する。
したがって、生きる意味を一般論で語ることはできないし、この意味への問いに一般論で答えることもできない。
ここにいう生きることとはけっして漠然としたなにかではなく、つねに具体的ななにかであって、したがって生きることがわたしたちに向けてくる要請も、とことん具体的である。
この具体性が、ひとりひとりにたったの一度、他に類を見ない人それぞれの運命をもたらすのだ。
だれも、そしてどんな運命も比類ない。
どんな状況も二度と繰り返されない。
そしてそれぞれの状況ごとに、人間は異なる対応を迫られる。」
ここで、フランクルが言っているのは、私たち人間は、
「生きる」
という問いの前に立たされた存在であり、それに対して、
「どう答えるか」
が私たちに課された責務なのだと解釈されます。
「人生」
というのは、
「自分の外」
にある何か、
「ふわふわした地に足のつかない抽象的なもの」
ではなくて、常に、
「特定の個人」
と、紐づけられた、より具体的で、
「一回限りのもの」
なのだということ。
ふっと、そうなんだろうなって思えたら・・・
フランクルのこの言葉から、
「一期一会」
という茶道の言葉が想起されます。
私たちを捉えている思考の枠組みを、
■一回ずらしてみる
■外してみる
そして、新たな地平線の上で、
■眺めてみる
ということが必要なんだろうね(^^)
そう、あなたの行動が、
「泣ける」
「笑える」
「怒れる」
という感情の豊かさも、あなたが確かに、
「生きている」
ということ、そのものだから、ね(^^)
あなたの生きている
「いま」
が、次へとつながっていきますように。
生きているということ
いま生きているということ
それはまとまらない言葉の中で生きていくということ
それぞれの事情で生きていくということ
誰の人生も要約させないということ
自分のものさしで
相手のことを測れないときもあるという事に
気づくということ
ある程度時間をかけて
着込んでいたもの(価値観等)を1枚ずつ
いろんな人たちに
脱がしてもらえる
環境にいるということ
自分に自信が持てなくてもいい
人生は自信がなくても歩いていけるということ
生きるということ
生きているということ
生きるとは
考えることができるということ
私はまだ
私を知らない
生きるとは
よりよく考えるということ
あなたを考えると
答えは出てくるということ
生きているということ
いま生きているということ
自分で生きるということ
どう向き合うのか
何を糧にするのか
どう前提をもち
何を選択して生きるか
自身に対し
腹をくくる
覚悟
生きているということ
いま生きているということ
生きるって短歌のようなものね
だって
無限の世界って言うわりには
制限だらけの世界ばかり
限られた世界の中でも
こんなにもふざけた出来事は起きる以上
どんな明日でもありうるわね
生きているということ
いま生きているということ
この土地で生きていくこと
その歓びを
つないでいくこと
生きているということ
いま生きているということ
ふつうの毎日を
丁寧に生きること
それは
日々を楽しく
充実したものに
変えていく
後回しにされてしまう
ことのなかにこそ
人が
とても
愛してきた
生きること
の
エッセンス
が
入っているのだろう
生きているということ
いま生きているということ
人は
人と
生きている
新しい
日常の中で
人は
どのように
つながっていけるのか
人と
会いたい
話したい
仕事したい
ケンカしたい
それでも
人と
生きていきたい
人と
遊びたい
笑いたい
手をつなぎたい
助け合いたい
ごはんを食べたい
どうしても
人と
生きていきたい
生きているということ
いま生きているということ
どんなに暗い夜の日も
世界は
美しい朝を迎えるように
あけていこう
前へ
明日へ
あける
それは
未来のはじまりだから
生きるということだから
生きているということ
いま生きているということ
それは
あなたと
あなたと
あなたと
いっしょに
喜び
怒り
哀しみ
楽しむこと
生きているということ
いま生きているということ
動く
生きる
つづいていくこと
生きているということ
いま生きているということ
それは
「命」に笑い
「命」に泣き
「命」に不安を覚える
年を繰り返していくこと