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【メモ(memo)】理解してもらえないつらさをどうする?
自分を誰かに理解してもらえないとき、つらいですね。
理解してもらいたい相手であれば、なおさら、つらさは増します。
また、つらいと思っていれば余計つらい。
人間なら、ミス・コミュニケーションは、ときに起こるもの。
私は、個人的に、そもそも日本語が誤解を招きやすい言語でもあるのだと考えています。
平安時代の和歌のように、
①推し量って理解する
②心の機微に触れる
そんな目に見えない人の心の微妙な動きを肌で感じて理解する事が大切であり、それには、
1.機微を捉える(変化の前後を察知する)
2.機微に聡い(感覚を鋭く)
3.機微を察する(推測して理解する)
4.機微を穿つ(的確に言葉にする)
等の感覚が、特に、重要である様に感じられます。
【参考文献】
主語は飛ばす。
目的語は飛ばす。
所有格も抜かす。
修飾部分がどこにかかっているか明確でない。
語順のルールも甘い。
同音異句もすごく多い。
だから、内容全体から意味を汲み取らないといけないことも多いです。
ゲルマン語系やラテン語系では、これはありえないこと。
なんで日本語は、こんなに文法が無視されても文章になるのか。
日本語は、基本的に膠着語に分類(※)されますが、助詞で名詞や動詞などの単語を膠のようにくっつけ合わせて文章を作る言語の意です。
※:
日本語は「私+は+あなた+を+愛しています。」のように自立語動詞を助詞が、まるで接着剤のように結びつけて文を形作っていることから膠着語に分類されます。
つまり、どんな単語でも、助詞で繋ぎ合わせさえすれば、一応、文章として成立してしまうんですね。
【関連記事】
【簡易レポート】言語を受け入れることと受け継ぐこと
https://note.com/bax36410/n/nd7f668717198
話を元に戻しまして。
理解してもらえないことは、確かに悲しいのですが、自分を責めても、相手を責めても、始まりません。
一人で怒ってしまっても、怒る分だけ自分が損です。
まずは、誤解される・することは、どんなにこちらが良い意図、意思・意志をもってしても、おきるものなのだ、と理解しておきましょう。
どんなにコミュニケーションスキルを磨いたとしても、前述の通り、日本語の特性も少なからず関係して、これは、一人でやるものじゃなくて、相手がいるものだからです。
人の物事の受け取り方、考え方、見方は違うし、お互いの余裕のあり・なしにもよって、同じものでも違って見えてしまうから。
理解してもらえないことをパーソナルに感情的に受け取ってしまいがちですが、そうする必要も本当はないのです。
また、どちらかが悪いとか、悪くないの問題にしてしまうと、きりがありません。
確かに、つめて考えれば、どちらかが非があることは見えてくるかもしれません。
でも、責めても何も変わらないし、相手を追い詰めるだけ。
もし、こちらに非があったとして、責められたら、それもつらいものですよね。
ミス・コミュニケーションというだけで居心地がよくないので、傷に、さらに塩を塗るようなことはしなくても良い、と少し心を大きくして考えましょう。
そして、少し距離(時間や空間など)をおいて、何が起きたのか、第三者の目で見てみます。
さらに、相手の立場に立っても見てみるといいかも。
自分がどうしたかったのか、どうなってほしかったのか、よく考えてみるのも手です。
何が起きたのかの事実と、それに対して、自分がどう感じたのかの感情を分けてみると、少し冷静に見られるようにもなります。
相手に謝ったほうがいい、それができる状態ならすればいいし、もしかしたら、それができない状態もあるかもしれません。
それなら心の中でしっかり謝って、いつか解決できるよう、いつか理解しあえるよう、願っておくことで、それで自分が満足するようにしてみましょう。
謝っても何も変わらないときもありますね。
誤解を招いたとき、理解しあえないときなどは、ひっくり返してみれば、人間関係をレビューする絶好のチャンスです。
良い方向に持っていければ、深めることができるし、いろいろやっても何も解決しなくて迷ったら流れに身を任せてみたりする等、例えば、プランド・ハップンスタンスの理論をベースに生きてみても良いかもしれません。
プランド・ハップンスタンスという理論は、1999年に、スタンフォード大学のクランボルツ教授らによって成功者のインタビューから(彼らのキャリアを分析して)、傾向をまとめたものです。
すると、彼らの8割がこう答えたようなんです。
「いまの自分のキャリアは予期していなかった偶然によるもの」
プランド・ハップンスタンスは、日本語で計画された偶然と訳されたりします。
つまり成功者も、はじめから今の自分を想像しながら進んできたワケではなくて、その時々を臨機応変に乗り越えて、結果的に今に至って来たということですね。
私たちの人生やキャリアはいろんなものに左右されます。
自分でコントロールできることもあれば、できないものもあります。
コントロールできることの方が少ないくらいかもしれません。
直ぐに結論付けて、よくない人間関係だと判断して断ち切るのではなくて、それでも自分の人生を生きるために情報には敏感に、また、自分の嗅覚を信じてタイミングを待つことも、必要なことなのかもしれません。
本当の友人だとか、本当に大切な人が誰かを見極められるかも。
現実的には、自分の成長やニーズに合わせて、周りの人間関係も少しずつ変化していくもの。
ときに、今ある仕事や人間関係等、目の前のことに情熱をそそぎ、いい意味で流されるままに生ききるという事です。
そうして過ごしているうちに、しかるべき道に誘われていくのかもしれません。
人生には、全て意味があるのだ、と考えてみてください。
少しは気楽になれるはず。