意見が違うのは否定じゃないからね
人と意見が違うとき、あなたはどう感じますか?
たとえば、周りにそれは違うんじゃない?と言われたら、どうでしょう。
違うんじゃない?というのは、間違っている、というような指摘もあるかもしれません。
でも、基本的には「意見が違う」ものですよね。
「事実」と「意見」をキッチリ区別したいなら主語を意識することが大切だけど、日本語では「違う」と「間違う」が似ていてややこしいですが、違うことと間違うこととは別ものなので、状況を把握するためにも、それらを区別できるように話せるまで、練習が必要だと考えています。
事実と意見を分けて説明できるかは圧倒的に重要で、これができない人はかなり厳しいと感じます。
この点については、ノーベル経済学賞受賞者の、ダニエル・カーネマンが、「ファスト&スロ あなたの意思はどのように決まるか?」(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)の中で「人は、出された質問が難しいと、それを簡単な質問に置き換えてしまう」という、人間の脳のつくりに依ると述べていたことが参考になります。
つまり、事実がどうなっているかを知ることが、解決のための第一歩です。
また、違う、といわれただけで否定されたように感じてしまう方はどれくらいいるでしょう?
感情で受け止めると、同意してもらえないことで悲しくなったり、ときには自分を正当化したくなったり、言い訳したり、攻撃的になったり、といろいろな反応が出てきます。
そうなってしまうと、意見の交換や自分の思いを伝えて冷静に話し合うことができなくなってしまうので、ここではトレーニングしたいですね。
状況を正確に把握できていなければ、正確な判断と行動もできないし、最初の段階にズレがあれば、その先の行動は的外れになってしまうため、憶測や噂ではなく、事実がどうなのかを自分自身で確かめるようにしてみる。
そもそも、日本では人と「違う」ことへの抵抗感というか疎外感というようなものが大きいように感じます。
人と違うことは、本来は悪いことではないし大体物事への考え方や見方、受け止め方は人それぞれ違っていて当然です。
ただ、分かってはいても、その違いが受け入れられず、それが人間関係でのストレスになるから、人それぞれ、考え方や価値観は違うということを、再認識し、他人と違うのは当たり前だと考え方を変えれば、気持ちにもゆとりが出てきます。
同じ一言(出来事)に傷つく人もいれば、なんとも思わない人もいるし、さらにはそれをきっかけに前向きになれる人もいるでしょう。
意見が違うのは、その程度のこと。
違うことは、否定でも拒絶でもなくて、ただ事実として違う、と認識してみるだけでずいぶん違います。
この考え方に慣れると、自分の考えや意見を周りに伝えることも楽になります。
相手に察してもらって・・・・・・と期待せずにすみますから、期待を裏切られて落ち込むことも減りますし、もっと建設的にもなれます。
たとえばグループなどで、ひとつの意見に的を絞る場合でも、たとえ違う意見がぶつかったとしてもそれぞれの意見を出し合った上で決めるほうが本来はいいはずですよね。
でも、意見を言ってどう思われるか、違うと指摘されたらどうしよう、なんて思っていたら自分の意見を言うこともなかなかできません。
そのうち、意見を言わないまま何かが決まったりしたら、どうなるでしょう。
こんなとき、察してくれればいいのに、と自分が何も言っていないのに期待するのにも無理があります。
また、察してくれなかったと自分で勝手に被害者になるのも面白くありません。
結局、何も言わないでいることは、どこかでしこりも残ります。
自分のことならまだ、そうか今度はそうやって考えるようにしようとできますが、周りにそういう人がいたら、どうしますか?
違うと指摘されるとやたら攻撃的になる方もいるかもしれませんね。
逆ギレする、なんて表現もあります。
そういう場合は、これと同じで、指摘されることに慣れていないか、否定・拒絶されたと感じているか、または同意してもらうことが良いこと、と思っているだけです。
人間、周りに同意してもらえたら嬉しいもの。
ただ、いつもそうとは限らないのが現実。
こんなときの周りの人への対応は大変ですが相手がどう思っているかを引き出したり、じっくり、違うことは間違っているわけでも否定・拒絶ではないことを説明していくのが大事です。
この点については、哲学者であるラッセルも「自分の意見と違う意見に腹を立てず、そういう意見が出た理由を理解しようとする術を学ぶことが大事である。」と指摘しており、自分と同じ意見の人ばかりではないし、批判をする人も必ずいるのだから、相手の意見に対し、感情的にならずに聞くことができる技術を身に付けいきたいものです。
相手の意見に同意する、理解する、そこから何かを得ることの違いを意識するだけでも、未来は変わってきます。
周りのそうした反応を見かけたら、私はどうだろう?
違うことに対して感情的に受け止めたり、攻撃的になったりしていないだろうかと振り返る良い機会にもなりますね。
周りは自分の鏡になっていることが多いですから。