心が本当に欲しいもの
欲しいもの・・・・・・といわれて思い浮かぶものはいろいろ出てきますね。
手っ取り早く欲しいものというとまずは、モノ。
物欲は決して悪いものではなくて、人間なら誰だってあります。
それに手に入れるべきものとして長年教わってきたものだってたくさんあります。
たとえば、生活していくには必要だから、お金。
そのためには仕事が必要だから、仕事。
仕事を得るための教育。
という具合。
ほかにも習い事とか資格とか。
モノでいうと、生活用品から身の回りのものから趣味のもの、ときりがありません。
ほかにも、キャリアやソシオエコノミッククラス(社会的・経済的スタータス)なども、外側のモノのひとつの要素です。
これを手に入れたほうがいい、まずは物的に豊かになるようにと小さいころから教わるとそのことについて疑問を感じなくなっています。
繰り返し聞くことって、それが正しい、ホントだと思うようになるものです。
例えば、「自分の欲しいものが何か分かっていない奴はその欲しいものを手に入れることができない。」村上龍(作家)であれば、欲しい物、欲しい環境、欲しい気持ち・・・・・・
どんな小さなことでもいいから思いつく限り挙げてみる。
自分が欲しいと思っているものを全て書き出してみることで、本当に欲しいものが何なのか見えてきます。
また、「人生において自分が欲しいものを得るために絶対に欠かせない最初の一歩は、「自分が欲しいものを決めろ!」ということだ。」ベン・スタイン(俳優)だと、ありふれた問いかけと思うかもしれないけど、この質問にはっきりと答えられる人は意外と少ないはず。
あなたの目標は何ですか?
本当に手に入れたいものは何ですか?
そもそも到達点が決まっていないのだから。
ただ今より良くなりたい、幸せになりたいと願うだけでは目標とする地点には到達できません^^;
で、ほかのこと考える暇なんて、ほとんどの人には仕事を始めてしばらく経つくらいまでの間、ないのです。
ただ、欲しいと思っていたモノが手に入ると次は何だっけ?と少しずつ余裕がでてきて、すると、あれ?私これでいいんだっけ?となってくることも。
欲しいと思っていたお金やキャリアや何かモノなどホントに手に入ったら、なんだか空しく感じる経験を持っている方は少なくないはずです。
周りから見たら、私は恵まれているはずなんだけど自分の中では、「なんか、どこか、違う。」、なんて具合。
私のホントに欲しいものって何だっけ?とふと考えたとき、モノ以外で思いつくもの(こと)は何でしょう?
とくに、精神面で考えてみましょう。
ココロの平和や安定だったり、周りから認められること、ほめられること、嬉しい気持ち、ハッピーな気持ち、充実感、自分が重要だと思えること、必要とされていること、愛されること、とか?
どれが一番重要かは人によって優先順位や価値観などによって違うけれど、結局モノによって手に入れたいものは
このあたりにありそうです。
モノももちろんあれば楽しいし嬉しいけれど、重要ですが、たくさんあっても、それだけではいつか飽きてしまうし充足感も薄れてしまいます。
要は、ホントに手に入れたいものを意識していないと、モノはホントに手に入れたい気持ちの手段であることも意識していないと、せっかく手に入れるモノもなんとなく色あせてしまうと思いませんか?
私たちは見えないものより、見えるものについ意識が行くクセがあるので、ついモノが与えてくれる目に見えないものを忘れがちです。
で、モノに執着したり振り回されたりしているうちにホントに欲しいものをさらに見えなくしてしまうことも。
人生での究極の目的は、やっぱりハッピーでいることなので、私たちはそのために何かします。
だから、モノを手に入れようとするのはできるところはドンドンやるといいのですが、同時に、自分がハッピーになるために内側で必要なものは何か、意識していてください。
たとえば、お金なら、お金が手に入ることは、選択を意味し、選択が意味するものは、自由。
自由が手に入ると、自分らしさにつながる、気持ちが楽でいられる、自然でいられる。
そうしてハッピーな気持ちにつながる、という具合。
つまり、表面的に欲しいと思うのはお金でも、その後ろには、お金(モノ)→選択→自由→自然・自分らしさ→ハッピーという方程式があるのです。
でもその方程式は、よーく考えないとわからなかったりその方程式は人によっても違うので一筋縄でない・・・・・・
あなたが今、目先で欲しいと思っているものがあったら、それが手に入ったら、何が手に入る?
その次は?
そしてその後は?と自分に聞いてみましょう。
意外が答えが出てくるかも。