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【LAWドキュメント72時間】自白の心理学
自白とは、刑事事件において、容疑者や被告人が捜査機関の取り調べで自らの罪を認める供述を指します。
自白は、刑事事件において重要な証拠の一つとなり得、有罪の認定において大きな役割を果たします。
自白は、次のような特徴があります。
1.犯罪の直接証拠として、ある事実を直接証明するのに役立つ。
2.嘘をつく際でも自身にとって不利益な事実を認めるため、信用性が高く評価される。
3.取調官が作成した調書に署名、押印することで、裁判で証拠として採用される可能性がある。
4.ただし、憲法や刑事訴訟法では、自己に不利益な供述の強要を禁止しており、任意でされたものでないと疑われる不利益な供述は証拠とすることができません。
5.自白のみで有罪判決を下すことはできません。
6.また、自白した当事者も、原則としてこれに反する主張ができなくなります。
■テキスト:「自白の心理学」(岩波新書)浜田寿美男(著)
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[ 内容 ]
身に覚えのない犯罪を自白する。
そんなことはありうるのだろうか?
しかもいったんなされた自白は、司法の場で限りない重みを持つ。
心理学の立場から冤罪事件に関わってきた著者が、甲山事件、仁保事件など、自白が大きな争点になった事件の取調べ過程を細かに分析し、「自分に不利なうそ」をつくに至る心のメカニズムを検証する。
[ 目次 ]
序 自白と冤罪(冤罪は遠い世界の話ではない 冤罪のひろがり ほか)
第1章 なぜ不利なうそをつくのか(宇和島事件と自白 うそを引き寄せる磁場 ほか)
第2章 うそに落ちていく心理(甲山事件の出発点 自白へ向かって ほか)
第3章 犯行ストーリーを展開していく心理(仁保事件 録音テープと事件 ほか)
第4章 自白調書を読み解く(袴田事件 自白調書を読む(1)うそ分析(変遷分析) ほか)
[ 問題提起 ]
本書は、「世の中の仕組みの中に根ざした一種の構造的な不幸」と言える冤罪について、「たいていの人は、それをほとんど自分には無縁のことだと思っている」が、「犯罪の被害者になることは自分の意思で避けることができない」のと同じように、「決意だけでそれを逃れることはできない」ものであることを解説し、「冤罪の実態をさぐることで、私たちが生きているこの社会のありよう」を浮かび上がらせているものです。
[ 結論 ]
序「自白と冤罪」では、冤罪にも「逮捕以前の集中的操作、誤認逮捕、誤起訴、そして誤判と、さまざまなレベルのもの」があり、「それらをすべて含めれば、年間数百例では収まらないかもしれない」と述べています。
そして、「うその自白は自分の利益にならないどころか、逆に自分を悲惨な状況に追い込む」にもかかわらず、「人はそのうそに陥ってしまう」のであり、「このうその自白の謎を解き明かすことが、本書の課題である」と述べています。
著者は、本書で取り上げるべき問題として、
(1)うそとは何かという問題
(2)有罪判決を受ければ刑罰を受けることが分かっていながらやってもいない犯罪をやったと言うのはなぜか。
(3)やってもいない人間がどうして反抗の筋書きをそれらしく語ることができるのか。
(4)一見はもっともらしく語られる嘘の自白をどのようにして偽物と見抜くことができるのか。
の4点を挙げています。
第1章「なぜ不利なうそをつくのか」では、「無実の人がうその自白に落ち、さらにうその犯行ストーリーを語るというのは、心理的に極めて異常な事態であるように思われている」が、「班員として決め付けられ、取調べの場で追い詰められ、決着をつけることを求められたとき、誰もが陥りうる、ある意味で自然な心理過程であることを知っておかねばならない」と述べ、異常があるとすれば、「当の被疑者を囲む状況の側の異常なのである」と指摘しています。
そして、うそについて、私たちが、「うそは自分勝手な思いで、自分自身の利益のために、自分の側から積極的に他者をだますものだ」という「固定的な観念に囚われている」として、「うその個体モデル」と名づけています。
しかし、うそは、「関係の場の中で生まれる」ものであり、有名なアッシュの同調実験に見られるように、「関係の側に主導権を握られた受動のうそ」もあるとする「うその関係モデル」を示しています。
著者は、うその自白が、「うそがほんとうだと思われたときには、むしろそれを促され、支えられることもある」という種類のうその典型であると述べ、それを、「通常のうそと同列に並べて、<だまる―あばく>という枠組みの中で理解しようとしたのでは、その実相を捉えることはできない」と指摘しています。
一方、「わが国の刑事取調べにおいて推定無罪は名ばかりで、取調官は被疑者を犯人として断固たる態度で調べるというのが常態になっている」として、警察官向けテキストには、「頑強に否認する被疑者に対し、『もしかすると白ではないか』との疑念を持って取調べてはならない」と明記されていることを紹介しています。
第2章「うそに落ちていく真理」では、うその自白への転落過程として、
(1)自分の側から名乗り出る身代わり自白
(2)事件の周辺にいた人が疑われ、事件前後のことを問い詰められて、うまく思い出せないまま、自分の記憶に自信を失って、自分がやったのかもしれないと思うようになる自白。
(3)取調べの強圧に晒されて、自分がやっていないという記憶そのものまで揺らぐことはないが、この辛さに耐え切れず、相手の言うままに認めてしまう迎合型の自白。
の3点を挙げています。
そして、被疑者が、「孤立無援の不安に晒され、生活すべてをコントロールされ、罵倒の屈辱を味わい、罪責感を刺激され、さらに弁明しても通じない無力感にさいなまれる」上、時間的な展望が見えず、「取調官からむしろ自白したほうが有利ではないかと思わされていく」ことを解説し、さらに、「しばしば陥る錯覚」として、「自白することの不利益(へたをすれば死刑)と否認をつづけることの不利益(取調べにさらされ続ける苦痛)をはかりにかけるというイメージ)の錯覚を指摘しています。
また、「予想される刑罰」についての現実感の問題として、真犯人は、自分の中に犯行体験の記憶がしっかりと刻まれ、「自白をすれば、あのときのあの自分の犯行の結果が刑罰として自分にかかってくるのだということを、文字通り実感を持って感じることになる」が、無実の人の場合は、「追求されるままに罪を認めてしまった」としても、「そのことが実際の刑罰につながるとの現実感はもてない」と解説しています。
第3章「犯行ストーリーを展開していく心理」では、1954年の仁保事件を取り上げ、そのような古い事件を取り上げる理由として、「この事件には被疑者を取調べたときの録音テープが大量に残されていて、そこから取調べの様子を直接に知ることができること」を挙げ、「否認段階の取調べ、あるいは否認から自白へと展開する家庭の取調べがテープに収められていれば、その自白過程を解明して、果たしてそれがうその自白に陥る過程であったのか、それとも真の自白を獲得する過程であったかを検証できるし、ひいてはうその自白を防止する手立てを考える手がかりにもなる」と述べています。
また、取調べの中で、被疑者が語った「犯人になったろ」という言葉について、「これほど無実の被疑者の心境を率直に語ったことばは、おそらくほかにない」と述べ、「『犯人になる』という心理は、一見、常軌を逸しているように見える。しかし無実の人がうそで自白するとき、ほとんどがそうした心理状態に陥るものだと知っておく必要がある」と解説しています。
第4章「自白調書を読み解く」では、1966年の袴田事件を取り上げ、「お金を取った状況を詳しく語らなければならなくなった袴田さんが、まさに『犯人になって』考えた結果」、犯行の実際を知らない袴田さんが、「その『無知』を暴露してしまった」ことについて、後に「まちがった供述」として訂正されたが、「9月7日その日の自白調書にはっきり録取された『無知』の証拠そのものは、もはや消し去ることはできない」と述べています。
そして、「この種の『無知の暴露』はここだけにはとどまらない」と述べ、「語らなければならない供述要素について、おおよそ客観的な状況を勘案した犯行筋書を語りはしたが、そのあちこちのディテールで無知をさらけ出してしまっている」ことを指摘しています。
著者は、「うそ分析、無知の暴露分析、誘導分析という3つの観点から供述分析を行った結果として、袴田さんの自白を真犯人のものと見ることには、心理学的に明らかに無理があるし、他方その自白変遷は、無実の被疑者に十分可能な範囲におさまっていることが判明した」と述べ、袴田さんの45通の自白調書が、「無実の人が『犯人になり』、取調官とのやりとりを通して、どうにかこうにか語り上げたうその自白であることを強く示唆している」と述べています。
「おわりに」では、犯罪の証明に必要な「証拠」と呼ばれるものが、「どれほど人のことばによって歪められてしまうものか」を、「冤罪事件に多少とも付き合ってみれば、誰もが痛感させられることの一つである」と述べ、「日本の刑事捜査、刑事手続きの中にはブラックボックスがあまりに多い」ことを指摘しています。
[ コメント ]
本書は、誰もが陥る可能性のある「冤罪」について、最低限の知識を与えてくれる一冊です。
冤罪事件について、報道で知ることができるのは、裁判の結果がほとんどで、とどのつまり、どう白黒がついたか、というところだけですが、冤罪を生み出すその仕組みを理解することで報道から得られる断片的な情報を読み解く力がつくのではないかと思います。