ふと思い出す、子供の頃の夢。
何かを始めて、何かを終えるということに、どのような意味があるのか・・・・・・
そんなことを少し考えたいと思います。
今手にしているもの、後々手に入るもの、失ったもの、さらに失うであろうもの。
すべてのものは、いまこの瞬間に、預かっているものにすぎないし、もしかしたら、思い出しか残らないかもしれない。
それでも、1秒先、1時間先、1日先と、未来が、ちゃんと手のひらにおさまってくる。
別のものが手に入る準備に入っただけ。
何かを手離したからこそ、得られるもの、得られたもの。
それに気づくことができたら、再開をしたいと思います。
落とし前をつけるなんて状況に出くわしたことってありますよね。
そこに、失敗はなく、そこにあるのは、学びだと思いませんか?
失敗を学びに変えるって、言うは易し行なうは難し・・・・・・なんですが、どうしても我慢できなくて、やめてしまったことや、どうやっても無理だと思って、あきらめてしまったこともあると思います。
ただ、そんなあきらめてしまった事たちに、ちゃんとしたケジメをつけたことってあるでしょうか?
ずるずると思いを残さないためにも、あきらめるときは、落とし前をつけてることって大事なことです。
なぜなら、逃げるようにやめて、新しいことをはじめたとしても、逃げたことを失敗としてひきづってしまうから・・・・・・
落とし前をつけるとは、やめてしまったものや、やめてしまったこと、あきらめてしまったものや、あきらめてしまったことから、ちゃんと学びを得ることなんですね(^^)
そんな気持ちで望めば、何かヒントに出会えるかな?