もしも私があなただったら?
相手が困っている時、つまづいている時、落ち込んでいる時。
その人に対して「何かしてあげたい」と考えることって、「大切な人を想う」ことですよね(^^)
どの想いも、相手と自分との関係の中に生まれる、自然な感情だと思います。
でも、相手のことを想う時。
私たちは、つい「あなたのために」と思ってしまうことってありませんか?^^;
つい自分の気持ちが先に立ってしまって、
「こんなに想っているのに」
「こんなに心配してるのに」
「こんなに好きなのに」
と思ってしまいがちですが・・・・・・
むしろ「もしも自分だったら」と考えるのは、その人から自分自身を見据えられることのようで。
実は、とっても勇気のいることなんじゃないかって、そう思っています。
「相手のために」と思うことは、ややもすると、空回りをおこしがちです。
その矛先が理不尽にも相手に向かってしまうこともあります。
私は、こんなに思っているのに、何故?あなたはわかってくれないのって。
相手を非難してしまう方向に流されていくことで、大切な人を傷つけたくないですよね^^;
こんな風に思うようになると。
お互いの関係はだんだんと気まずくなっていくから、どこかで歯止めをかけないとね!
でも、「自分だったら反対の立場のとき、どう思うだろう」と考えることって。
その時の自分は、ほかならぬ大切な人の目線で見ていることと同じなんですよね(^^)
大切な人の目線で見ている時の自分は、きっと、その人の目線にひたすら気持ちを集中しているはず。
そこから、ほんとうの思いやりが生まれるのではないかと思います(^^)
あなたにとって、誰かひとり、「もしも自分だったら、どう思うだろう」と思う大切な人を思い浮かべてみて下さいね。
実際に、何もできない人はいません。
呼吸することもできれば。
瞬きだってできますよね。
考えることも、なにか学ぶことだってできるかもしれない。
けれど、今の自分にできることなんてつまらないと思っている人は少なくありません^^;
こうして見過ごしている「できること」達。
この「できること」達を育てていけば。
つまらなくないことに成長するかもしれません。
あるいは、何かの苗床に、肥料になるかもしれません。
希望が花開くような未来。
いまここにある。
私達が見過ごしている「できること」から始まると思うんだよね(^^)
そして、その人に対して。
もしかして、それまでとは違うなにかが見えてくるはずです(^^)
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では、その気持って、どんな気持ちなのか?
人間は最初、人の気持ちを理解することは出来なかったと言われています。
では、初めて理解するようになったのはいつかというと。
「痛みの共感」を感じた時。
これが、人間が他人の気持ちを理解した初めてのシーンだったといいます。
元々は自分の事しか考えることしか出来なかったのが人間です^^;
それが、痛みの共感を共有することで、徐々に自分以外の存在の気持ちを、理解するようになっていったそうです。
相手の心を理解できれば、それだけ相手を幸せにできるのだと感じます。
人の心はなかなかわからないものですが、「わかろう」と心がけることが大切なのだと思います。
ただ、上手く気持ちを言葉に託すことが出来ないことも多いいから。
ゆっくり、ゆっくり、聞いてあげたり。
そっと待ってあげたりしながら。
「わかろう」と心がけてあげたいですね(^^)
相手の気もちがわかれば、相手の心を支えてあげられる。
相手の望みがわかれば、相手を喜ばすことができる。
相手の考えがわかれば、相手の力になってあげられる。
互いに理解し合い、互いの幸せを考えられるのが、望ましい愛の形なんだと、私は、そう想います。
そこにあるのは、愛の移動です。
つまり、最初人間は、自分の事しか愛することが出来なかった。
でも、タゴールの言うように、愛は理解の別名なり(愛=理解)ということであれば、尚の事そうですよね。
自分しか理解できなかった。
しかし、それがあるときから、移動出来ることを知った。
愛の形がハートマークばかりとは限りませんが。
自分のことを理解してくれる人やわかろうとしてくれる人がいることは、とても幸せなことだと思います(^^)
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そして、ここからが、とても大切なことだと思っていて。
なかなか難しい面もあるけど。
痛みの共感をしてあげたら、どうもしなくていいんですよね。
頷きながら「痛かったね」って共感してあげる。
変えようとするよりも、まず理解してあげる。
今そういう状態だということを理解してあげる。
いくら口でいいこと言ったって、「変われ」ってオーラを出しちゃうと相手は反発してしまうもの。
それよりも理解してほしいだけだってこと、たくさんあるよね。
自分の状態を。
気持ちを。
変えようとするよりも、まずわかってあげる。
変えようとするよりも、まずわかってあげる。
なにより、わかろうとする気持ちが大切だから(^^)
ありのままを認めてくれる人が周りにいれば人は自然に変わっていくから。
だから、どうもしなくてもいいんですよね(^^)
変えよう!
よりも、わかろう!
だねぇ(^^)
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ただ、どんな事でも、大切に思えば思うほど。
思いが強すぎると。
かえって、こころがカラカラから廻りして、からまってしまうみたく。
相手とのつながりを大切にしたいばかりに。
あまりにも強く、固く結びすぎてしまうと。
こころが苦しくなってしまうから困ったものですね^^;
できれば大切な人ほど。
結びめは、ほどけるように(^^)
ゆるやかにつながっていたいなって、そう想います(^^)
ほどけたとしても。
気持ちごと。
何度でも結び直せて。
いつでもほどけることができて。
それから。
また、なんどでも結びなおせるようにd(^.^*) ねっ?
やなぎなぎ「三つ葉の結びめ」
「これから旅に出ようか
頼りない船に揺られ
数えきれない嵐に糸を断たれ
体に雨が染み込んでも
その度に何度も結んで この気持ごと
解けないようにずっとずっと
ひと結び 人を結んで
期待の止まない先へ
あすへ行こう
希望乗せて行こう」
出典:やなぎなぎ「三つ葉の結びめ」
【やなぎなぎ】7thシングル「三つ葉の結びめ」TV-CM
Note:
三葉結び目(さんようむすびめ/みつばむすびめ、Trefoil knot)またはクローバー結び目とは、位相幾何学の一分野である結び目理論において、自明でない最も単純な結び目である。
ロープワークでいうところの止め結びに相当する。
名前の由来は植物のクローバー。
三葉結び目をあしらったデザインの彫刻やロゴなどは多く、例えばウェールズ大学の数学科は彫刻家のジョン・ロビンソンが作成した三葉結び目状の彫刻を学科のシンボルとしている。
【参考記事】
結び目の数学 - 日本数学会
https://mathsoc.jp/publication/tushin/1303/1303imai.pdf