それがあなたを助けないのなら、なぜあなたはそれを続けますか?
ときに、自分のためにならないことやってる、と自分でわかっていても、そのまま何も変えないときってないでしょうか。
それは自分の古い良くない習慣だったり、または、自分にとってヘルシーでない恋愛関係や人間関係だったり。
ほかにも、これはやったほうがいい!と思っていてやらないこともあります。
運動なんか典型的。
なんでだろう?と真剣に考えてみてください。
何か変えたら絶対に自分にとっていい!と頭では完全に理解してはいるものの、その理解に心がついていっていないのですね。
これって本当に不思議。
自分にとってマイナスだとよくわかっているのに、なんでそのままにしているの?と自分に問いかけてみると、けっこういろいろ出てきます。
例えば、人間には「好きにやっていいよ」と言われると「果てしなく手を抜く」アンダーアチーブタイプと、「やりたいことを寝食を忘れてやる」オーバーアチーブタイプに二分されるそうです。
このどちらかだけを作り出すということはできなくて、手を抜く自分を際立たせるためには、他社を規格化する以外に手立てがないから、言い訳が出てくることもあるし、自分の見たくないものや認めたくないものなども出てくるかもしれません。
そのあたりは、たまに真剣に見つめてみるのもいいでしょう。
もちろん、ほかの理由や背景などもあります。
まずひとつ、頭で理解することと、心で理解することとは別ものだから。
頭で理解しただけでは人間はやらない傾向にあります。
組織内で自分に課せられた職務を超えてオーバーアチーブする人達のオーバーアチーブを動機づけているのは組織に対する忠誠心や帰属意識、仲間に対する同胞意識です。
そういうセンチメンタルな動機で人は働いていていて、「これだけの給料をもらったから、これだけの労働をする。それ以上はしない」というほうが合理的に見えますが、実際には潜在能力が開花するのは、自分以外の誰かのために働くときです。
先ほどもふれましたが、人間が最も高い能力を発揮するのは、組織のなかに「この人を助けてあげなければ」と感じさせる弱い人がいるときです。
たとえば、何かのハウツーものの情報や本などはたくさん出回っていますが、だからと言って実際にそれをやってみる人は少ないですよね。
やってみないとその効果も得られないからそのハウツーの意味を心で理解するチャンスも逃してしまいます。
それでも何もしないということは最低でも現状維持がほとんどなので、何も変わらなくて意外に居心地が悪くないので、またさらにやらないことになってしまうのかもしれません。
また、やったほうがいい、やらないほうがいい、と頭で思っているだけのときもあります。
心で本当にやったほうがいい、やらないほうがいいと実感しているなら何か本気モードになって行動に現れます。
それから、必要性の問題も。
たとえば、これをやり続けたらあなたは死にますよ、とか、あなたの子供が大変なことになりますよ、というような本当にどうしても必要な状況になったらどうでしょう。
人間はやらざるを得ない状況に迫られるとき、ときにすごい力を発揮しますし、自分の本気レベルも全く別なものになります。
なので、もしかしたらときにはやらざるを得ない状況を作ってみるのもひとつの手なのかもしれませんね。
自分を追い詰めすぎるのはお勧めしませんが、たまに自分へのチャレンジ、ストレッチ・ゴール(自分の持っている力よりもほんのちょっと上のゴール)として、これをやらねばすまない状況は、思いがけず成長させてくれます。
さて、多くの方が見たくないもの、認めたくないものというかやらないこと(やってしまうこと)の言い訳にしてしまいそうなものとして、不安や恐怖も手伝っています。
大きい不安や恐怖が勝つので、やったほうがいいのにやっていないのは、やらないときの不安や恐怖よりもやることへの不安や恐怖のほうが大きいとき。
やらないほうがいいのにやってしまうのは、逆です。
不安や恐怖を越えさせてくれるものの代表はやはり愛なので、自分への愛情をさらに育てていくのが長い道のりのようで、結局は近道かな、と私は思います。
だって、これが本当に私のため、私のためだからやったほうがいい、やろう!と思うようになる最大の要因は、「自分のため」を思える=自分への愛ですよね。
自分への愛情が強くなればなるほど、自分にとってプラスになることは自然とやるようになるし、マイナスになることなら、やめるようになります。
それに自分で一度育てたら、なくなる心配はまずありません。
誰かが奪うのは無理だし、自分の内側からいつでも沸いているものだから、減っていくこともありません。
自給自足ができるなら、安定していられるし、楽ですね。
ただ、それが楽だとしても、支え合う雰囲気が、日常生活のなかにあることが大切なのだとも感じます。
人間の思いやり、やさしさって、目には見えないし、数値化できないですよね。
「あなたのこと、気にかけていますよ」とか、「あなたを見ていますよ」とか、「応援していますよ」というシグナルが仕事を進めるうえで、どういう効果があるのかは客観的な証拠を以ては証明できません。
だから、数値化されたものしか信用しない人には、そういう人間の情緒が社会的にどれくらい力をもっているのかを理解させることは難しいものです。
信頼や思いやり、やさしさや労りなど、競争と成果主義のなかで捨ててきたものをあらためて見直すべきだと思います。
和気あいあいこそがいちばん効率がいいのかもしれませんね。