勇気を出して進めば、道は開ける。
目標は達成された瞬間、達成したレベルがゼロ地点となり、維持する基準となってしまいます。
さらなる成果を自ら追い求めるか、あるいは、周囲に成果を期待されてしまう・・・・・・目標とはそういうものだと感じます。
人生にゴールはなく、生涯探求であり、一生青春です。
そして、大切な人を通して、人生を味わうことになります。
そこに大きな家は不要であり、ジャストサイズの空間があればいいのでしょうねぇ。
有名になれば、街も何の気兼ねもなしに歩けなくなります。
目を伏せて、背中を丸くして歩きたくはないよなぁ。
以前、イチローのドキュメンタリーでインタビュアーがこう聞いたそうです。
「目標を達成した時の感じはどうですか?」
『何もないです。だって目標を達成したことなどないですから。』
「目標を達成したことが、ないのですか?」
『そんなのありませんよ。今でも追いかけているのですから。』
「将来は明るいのですよね?」
『将来は、真っ暗ですよ。ようやく少しの光は見えてきましたが。必死に努力してると少しだけ、光がみえてくるんです。』
彼の日常を写したシーンには、数字の重圧をクリアするための日々があるだけで、大きな家も、膨大なる資産にも意識を向ける暇がないし、また、意味もないのでしょうね。
そしてなにより印象に残ったのは、彼に幸福感が感じられなかったことだそうです。
そこにあるのは、イチロー=鈴木一郎ではなくイチローというヒーローを背負ってしまった孤独感だけ・・・・・・
達成されない目標、いつもまだ途中であるということ。
自分が主人公であり読者でもある。
司馬遼太郎の『最後の将軍―徳川慶喜』の中で「人の生涯は、ときに小説に似ている。主題がある。」と語っていました。
「最後の将軍 - 徳川慶喜 (新装版)」司馬遼太郎(著)(文春文庫)
振返れば誰にでも、小説になりそうなことはあると思われます。
あの時ああしたら、別の人生を辿ったかもしれないと思われるし、またそれもその人の運命かも知れない。
不思議と、自分の人生にいつも関わってくる課題やテーマなどもあります。
その主題と向き合って、うまく付き合っていけたら幸せなんでしょうけどねぇ。
主題の存在は、振り返ってみると気づくのですが、今この瞬間は見えないものです。
生きることは、毎日が連続ドラマみたいなものかもしれません。
哀しいことがあったときも、頭を抱えたくなるほど情けないことがあったときも、このストーリー展開はなかなかスゴイ、と思うことにした方が愉しく暮らせると思います。
そして、人生のシナリオは何度だって、書き直すことができる。
そう考えると、気持ちが大らかになるから不思議です。
物語のように生きる、と思えば、たいていのことは大丈夫で、その物語の中で自分が主人公であり、同時に読者でもあるだけに、一緒に物語を楽しむことができるのでしょうね(^^)
さぁ、はじめの一歩を踏み出そう!