新生活が始まる人も、そうじゃない人も。
3月は卒業式のシーズンですよね。
その日を迎える気分が明るくも、暗くとも、卒業の時はやって来ます。
英語では”Graduation ceremony”ですが、アメリカの米語では、”Commencement”というそうです。
これは「始まり」という意味です。
ひとつの終わりは、次の始まり。
ひとつの出口は、次の入口。
終わりと捉えるより、始まりと捉える方がポジティブですよね(^^)
ものごとには、いつも両面性があり、どう捉えるか、どう考えるかによって、大きく人の気持ちは変わってきます。
ひとつの結果は次の結果につながっています。
良きにつけ悪しきにつけ・・・・・・
受験で有名大学に入学しても、生涯納得のいかない仕事に甘んじる人は大勢いるし、受験に失敗した経験をバネにして再挑戦し、努力する尊さを身につける人もいます。
希望に満ちた入社式も、サークル活動感覚で臨んだ会社に失望し、数ヶ月で辞める若者達も多い。
長期間の放浪生活のあとに、自分の中の光るモノを見つけ、生涯の職を発見する人もいます。
「チャンスがピンチ、ピンチがチャンス」という考え方は、ビジネスの基本中の基本だと思います。
得意冷然、失意泰然。
うまくいった時に浮かれていると、必ずしっぺ返しがきます。
逆境に苦しみ耐えることにより人は強くなり、未来の道が開けるのだと思います。
逆境を克服した経験が多い人ほど、人は磨かれてゆくものです。
一度も逆境を経験したことがなく、何事も順調に守られて生きてきた人でさえ、人生においては、必ずどこかで出会うことになると思うんですよね!
大人になってからの初めてのつまずきは、より大きな苦境としてとらえられるであろうとは思います。
若い時の苦労は買ってでもしろ、ということはここに起因するんでしょうねぇ。
明と暗は繰り返されます。
明があるから暗があり、暗闇があるから夜明けが嬉しく思われるものです。
「人生万事塞翁が馬」って言いますが、人生の部分を「人間」とする方が一般的なのですが、私はやはり人生としたいと思います。
なぜなら「人間(じんかん)」とは日本で言う人間(にんげん)の事ではなく、世間(せけん)という意味だからです。
こんな昔話があります・・・・・・
中国の北の方に占い上手な老人(城塞に住む老人=塞翁)が住んでいました。
ある時、その塞翁が飼っていた馬が逃げていってしまいました。
人々は気の毒がって塞翁をなぐさめに行きました。
ところが塞翁は残念がっている様子もなく言いました。
「このことが幸福にならないとも限らないよ。」
そしてしばらく経ったある日、逃げ出した馬が立派な馬をたくさんつれて帰ってきました。
そこで人々がお祝いを言いに行くと、塞翁は首を振って言いました。
「このことが災いにならないとも限らないよ。」
しばらくすると、塞翁の息子がその馬から落ちて足の骨を折ってしまいました。
人々がお見舞いに行くと、塞翁は平然と言いました。
「このことが幸福にならないとも限らないよ。」
一年後、隣の国が攻めてきました。
城塞近くの若者はすべて戦いに行きました。
そして多くの若者が戦争で死んでしまいましたが、塞翁の息子は足が悪いため、兵役を逃れ無事でした。
そう、何が良くて何が悪いかわからないから人生は面白いとも言えます。
だから「得意冷然、失意泰然」なんでしょうね(^^)
ここで、相田みつを氏の言葉を借りるてみると・・・・・・
つまづいたっていいじゃないか
にんげんだもの
くるしいことだってあるさ
人間だもの
まようときだってあるさ
凡夫だもの
あやまちだってあるよ
おれだもの
愚痴をこぼしたっていいがな
弱音をはいたっていいがな
人間だもの
たまには涙をみせたっていいがな
生きているんだもの
つまずいたり
ころんだりしたおかげで
物事を深く考えるようになりました。
あやまちや失敗を
繰り返したおかげで
少しずつだが人の遣ることを
暖かい目で見られるようになりました
~みつを