どうして否定的な言葉に弱いのか?
否定的な言葉に弱いのはなぜ?
人に何か言われると、ついそれが本当かなと思ってしまうことってありますよね。
とくに、否定的なコメント、最悪の場合についてのコメントに弱いというか。
ちょっとでも否定的なことを言われると、それだけでせっかく盛り上がった気分も一気に盛り下がる。
たとえば、あなたが何か新しいことをやろうとしているときに「大丈夫なの?」とか、「そんなことできるの?」とか、「無理なんじゃない?」なんて言われたら、どうでしょう。
ほんのひとことなのに、それだけで、やっぱりそうよねぇ・・・・・・と妙に納得したりして。
ところが、肯定的なことやベストの場合のコメントについてはみんな免疫があるみたいで、ちっとも受け入れようとしなかったりします。
たとえば自分の何かを誰かが褒めてくれたとします。
褒めてもらって、そうか私ってそこら辺すごいのかも、とその気になることもあるけれど、褒めてもらっても「いやいや、私はまだまだ」と謙遜してしまう。
せっかく気分が盛り上がるチャンスなのに、それをわざわざ棒に振ってしまうこともあります。
ネガティブな声に弱い習性、どうにかなりませんか?と思ってしまいます。
周りのネガティブな声が妙に説得力を持つのには何かしら理由があるはず。
そもそも、私たち自身が自分の中にネガティブボイスを持ち合わせていることがひとつの原因。
ネガティブボイスがどこから来るかというと自信のなさや、自分への信頼の欠如、究極的にはセルフ・エスティーム(良い意味での自尊心)の欠如からきています。
セルフ・エスティームが低い人があまりに多いため、逆にそうでない人のほうが少数派で常識はずれのように一見見えるだけです。
私たちの本来の姿と、本当にあるべき姿を追求したとき高いセルフ・エスティームを持つことは、幸せな人生には絶対的に欠かせないものなんですが。
多くの人は過去にあった何かが原因で、この大事なものを少しずつ失ってきてしまったのです。
だから、ネガティブボイスの音量がパワーアップしていくというか。
自分の中でほんの少しでもその気持ちがあるときにネガティブなことを言われたら、見透かされてしまったようになって、やっぱり・・・・・・と同調してしまいますよね。
ただ、自分の中のネガティブボイスは、本来は私たち自身のものではないと気づくことが大事です。
だから、ネガティブボイスはただそこにある声であって私たち自身を定義するものではありません。
もちろん、その声が大きいと私たちの思考や行動にも影響を与えるので、人生を左右します。
ネガティブボイスに自分を定義させなくてもいいのです。
また、もしかしたら否定してもらいたいときもあるのかもしれません。
運良く否定してもらったら、やろうとしていることは、周りが言われてやめた、とパーフェクトな言い訳ができるから。
言い訳があれば、今の自分が何もしないことも正当化できます。
また、変わることに対して抵抗感を感じているなら、見事にその変わることを避けられる。
それから、周りに受け入れてもらいたいという気持ちもあるかもしれません。
周りが賛成してくれないと、受け入れてもらえないような気分になるから。
だから、ちょっとでも周りが疑うようなことは、しないように心が自然と働くのです。
こんなときは、自分で自分を受け入れていれば一部の周りに受け入れてもらえなくても、この世の終わりにはなりません。
人間は元来はポジティブに出来ています。
みんなそうです。
後天的にネガティブなものを取り入れてきただけ。
そこに気づくと、自分の本来の姿に立ち返るというシンプルな道を選ぶこともできます。