花瓶に花を・・・・・・Vol.1
普段の生活の中にずっと“それ”は存在しているのに、あまりにも当たり前すぎて気付くことができないもの。
何気ない日常が幸せ(^^)
それは逆に言えば、失ってみて初めて気付くものなのかもしれません。
朝、目覚ましに起こされて歯を磨き、他人事のように新聞をめくり、コーヒーをすする。
ひどくつまらない社会システムの中で、毎日、同じ作業をする。
始動ボタンを押して、レバーを引く。
ガチャン、ギー。
一日が始まる。
ふと思うことがあります。
ずっと死ぬまでこの事を繰り返すのだろうか?と・・・・・・
しかし、実は世の中に“繰り返すことのできる人生など無い”のだと、この年齢になってやっと気づきました(^^)
空が“青い”ということは誰でも知っています。
でも、次に見る空の色は、前に見たかつての空の青ではない。
空を眺めては、大空を鳥のように飛んでみたいと空想にふけっていた幼少の頃に比べて、私はずいぶん他人事のように空を眺める“つまらないオトナ”になってしまいました。
だから、「あぁ、空って青かったんだ」と、その当たり前の事に、ふと改めて感動する自分に、嬉しく思えるのです。
新しいことを何でも知ってやろうとする願望が、逆に瞬間瞬間に現れる新鮮な生命の息吹を感じる力を失わせ、結果として古い固定観念に縛られて、無感動にしていってしまっているような気がするのです。
“オトナ”になって、知識と経験が増えて、物事に新鮮さを感じなくなった。
その結果、刺激を外に求めるようになり、現実の自分を忘れることが幸せと思うようになってしまう。
大切なこととは、現実の自分に幸せを感じること。
あたりまえと思っている物事の中にこそ、新しい発見や感動があるという事実を知ること。
心の内面が敏感になり、感受性が高くなると、絶望も多く感じるようになりますが、感動も多くなります。
無感動であることが、人の心を傷付けない一番の方法ですが、同時に心を消滅させ、“うつろな人間”にしてしまうことでもあるのです。
心があるからこそ、人間であり、瞬間瞬間に感動しながら生きていける生き物だと思うのです。
私達は、同じような毎日のシステムの中に暮らしながら、繰り返すことのできない瞬間に生きているのですから・・・・・・