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【LAWドキュメント72時間】鶴屋南北

「鶴屋南北 かぶきが生んだ無教養の表現主義」(講談社学術文庫)郡司正勝(著)

[ 内容 ]
江戸後期のかぶき作者四世鶴屋南北の作品は、「東海道四谷怪談」をはじめ、「桜姫東文章」「天竺徳兵衛韓噺」など、現代でも上演の機会が多い。
しかし、彼の案出した奇趣奇想のかずかずは、時代を隔ててそのまま作品だけを受容しても、理解や共感が得られにくい。
本書は、南北の出自、師弟関係を含む人脈、寛政期から化政期への政治経済的な変動、当時の庶民の嗜好、遊里や見世物との関わりなどを手懸りに、一つの南北像を描く試みである。

[ 目次 ]
端・「おお南北」か「だい南北」か
南北の肖像6南北の街
劇界に身を投ずる
立作者となる
南北無学説
奇想「鯨のだんまり」
出世作「天竺徳兵衛」
寛政かぶきのリアリズム
小幕作者時代と道化方
南北襲名
生世話の誕生
小説の視覚化
見世物と南北
「桜姫東文章」とその時代
薬と毒薬
「四谷怪談」とその前後
南北独り旅「五十三駅」
死もまた茶番
 あとがき

[ 問題提起 ]
以前、鶴屋南北の作品を、歌舞伎の舞台と、それを収録した映像を通して見たことがあります。

南北という人が、こんなにもパワーのある魅力的な作品を書いていたなんて!

全く知らなかった私にとっては、スリリングな発見でした。

一時期、私の自由な時間は、江戸時代の劇作家に費やされていた時期がありました。

鶴屋南北と近松門左衛門。

この二人は、なんとスケールも大きい魅力的な作家なんだろうと、作品を観ては、感動、感激、感服を繰り返していました。

そんな経緯も手伝って、本書を、手に取ることに至った次第です。

本書は、南北の人生とリンクするようおおよその年代追いながら、テーマを決めて南北について書かれたものとなっています。

ただ歌舞伎に関する専門用語や人物が多く出てきますので、それに囚われてしまうと、かえって難しく感じでしまうので、その場合わからなくともどんどん読み進めていくことに。

[ 結論 ]
中身は本のカバーについている案内の文章が、非常に的確に簡潔にまとまっていますので、それをまず引用します。

「江戸後期のかぶき作者四世鶴屋南北の作品は、「東海道四谷怪談」をはじめ、「桜姫東文章」「天竺徳兵衛韓噺」など、現代でも上演の機会が多い。

しかし、彼の案出した奇趣奇想のかずかずは、時代を隔ててそのまま作品だけを受容しても、理解や共感が得られにくい。

本書は、南北の出自分、師弟関係を含む人脈、寛政期から化成期への政治経済的な変動、当時の庶民の嗜好、遊里や見物物との関わりなどを手懸かりに、一つの南北像を描く試みである。」

と、これ以上、どう上手くまとめるの?といくらいよくまとまっています。

そうなんですけど、せっかく読んだのですから、断片的でありますが、郡司正勝による鶴屋南北について言及された文章を、多少変えながら、私なりの南北像を確立するために、エッセンスを書き出してみました。

・南北は紺屋の型付け職人(?)の生まれ、封建社会のなかの制度において芝居者同様に差別されていた身分であった。

・南北は自ら「無学文盲」を標榜していた。

それは無学文盲でもこのくらいの作者になれるのだといったところに、南北の自負がある。

・南北の特色として視覚性の見立てのおもしろさがある。

・南北の奇想の底辺には「かぶき」というものが見世物的であってもいっこうに不思議はない発想があった。

小屋者としてはかぶき芝居も見世物小屋も同類なのである。

・「天竺徳兵衛」(1804年)が世間をあっといわせ、後世まで人気出しものとして今日まで上演が絶えない南北の出世作となった。

・かぶきの舞台は一般庶民の好奇心を満足させるための集約的空間であり、南北はそこに君臨していた。

・道化方の名家、鶴屋南北の名跡を襲いだ素地は、かぶき最後(幕末で消えた)の道化方の名人たちとの付き合いの中で決定されたものであろう。

・南北(=俵蔵)は、57歳の文化8年(1811年)、四代目鶴屋南北を襲名し、女房お吉の父の三代目の名を襲いだ。

・南北の奇抜さは、発想、転換とも群を抜いて、その無価値化は類を絶する。

それは南北の出自(被差別階級であったといわれている)がものをいっているのであろうか。

かぶきが伝統文化財になった今日の舞台では、その復元が覚つかない。

・南北は生世話をみせる生理感の落差のおもしろさを進展させ、世界を引っ繰り返す心地よさは無頼、これにより最下層の当時の生活がいきいきと活写されてゆく。

・かぶき作者は文人にして、文人にあらずという暗黙の掟を破った者は南北であった。

小説読本から草双紙合巻の舞台化、そして、その舞台から合巻化という相互交流が行われるようになった。

・小説→劇化において、視覚の立体化、色彩化に訴える舞台にあっては、作者の腕の見せどころで、南北の奇想と趣向が目覚ましい働きをみせる。(山東京伝と南北の趣向取り合戦)

・南北は好んで見世物の場を舞台に設けた。

そしてそれら見世物を、人間の業の発信地とみて、事件の幕あき、発端とすることが多かった。

・南北の台本にはあきらかに幕のあく前の芝居があった。

今日の現代劇では不思議ではなくなったが、江戸時代にすでにそれを演出していた。

古格を守る先輩同僚おの作者たちに嫌われた。

・南北の独擅場、死と蘇生と薬と毒薬を使った裏表の捩り合せの二重趣向。

・南北のブラック・ユーモアの展開は、自分の葬式まで「万歳」で送るという凄絶対さ。

・作者の業を崩せし南北、古来の行儀ではかぶきの世界を救うことはできない。

今日にかぶきを救って残しえたのは、南北の反乱にあるといってよいかも知れない。

・大当りした「東海道四谷怪談」、そこにおける仕掛けの数々、上演された文政のまま百五十余年も、そのままの手作りの仕掛けで伝承されてきた。

工夫は機械力にあるのではなく発想にある。

南北の発想は、いまも溌剌と生きている。

・南北の「獨道中五十三驛」は、展開のカットからカットの繋ぎと飛躍のおもしろさに、その視覚化とスピード、テンポに、ミュージカルに似た大道具の転換、これを助ける鳴物がある。

日本的ショウの誕生である。

そこには南北の演出のネタが出尽くし手織り、南北趣向の見本市の観がある。

こののちかぶきの舞台技巧は、これを適宜に汲み出せばよいのである。

・南北は自らの葬式も仕組んで演出した。

見送りのものに団子の笋の皮包みと芝居の正本に仕立てられた小本を一冊ずつ配った。

外題は「寂光門松後万歳」。

死出の門松と末期、すなわち最後の御万歳。

お弔いに万歳はないが、みずからあの世の門出を祝った。

南北のように、この世に残した最後のブラック・ユーモアを75歳という老齢の身をもって演出した人間はほかにあったろうか。

[ コメント ]
出自や師弟関係、寛政期から化政期の政治経済、当時の庶民の嗜好、遊里や見世物との関わりなどを手懸りに描く南北像が理解できました。

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