どこまでも高く、広がる夏空。
は、もう、どこえやら?
高く澄みきった空に白いうろこ雲が浮かび・・・・・・空も秋色をおびてまいりましたが、お変わりなくお過ごしでしょうか。
豊かな秋、そして、それを満喫できるだけのものがこの国には何でもあります。
だけど、希望だけが足りないようです。
「生きていくために必要なものがとりあえずすべて揃っていて、それで希望だけがない、という国で、希望だけしかなかった頃とほとんど変わらない教育を受けているという事実をどう考えればいいのだろうか、よほどのバカではない限り、中学校でそういうことを考えない人間はいなかったと思います。」と村上龍は「希望の国のエクソダス」で述べていました。
今の日本に欠けているものの一つが「希望」。
パンドラの箱の中に、最後に残っていたものさえ、今の日本には、無くなっていようとは、意外でした。
希望とは、努力が報われることであって、それゆえ、努力することが困難な社会になりつつある証なのでしょうか?
そして、希望が見出せないのは社会問題であって個人的に対応できるレベルではないと言えます。
だからこそ、国を挙げて希望を見出せる社会すべきと指摘する人もいます。
我々ができることがあるでしょうか?
個々人の能力のレベルでできることは、本当に少ないかもしれません。
でも、それすらもやってこなかったのも現実なんですよね^^;
「努力した」ら「報われる」。
「能力を発揮した」ら「評価される」。
この単純なしくみを大学、会社組織のなかでいかに構築していくのかが、今の日本に科せられた大きな課題のひとつです。
個人的に興味と関心のつきないテーマなのですが、希望は、努力が報われると感じるときに生じます。
だけど、絶望は、努力してもしなくても同じだと感じるときに生じるんだそうです。
報われなくても夢をみ、希望を持つ事は、できないのでしょうか?
そんなことを考えながら、今宵の星にも期待が膨らむ♪ってのは、甘いんでしょうねぇ(^^)