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【LAWドキュメント72時間】他者の視点の豊かさとじぶんの好きのもつ力
他者の視点を得ることは、自分の人生を豊かにしてくれる、ひとつの指標に成り得ますね。
「誰も認めてくれなくったっていいの。
「わたしっていいなぁ!」って、ときどきにっこりして、自分を抱きしめるの。
そうすれば、恋(人生)は豊かよ。」
岡本敏子さんの、この言葉は、「恋」を、「人生」に読み替えてもいいですね。
自身の持つ、パターン化された思考に苦しんでいる時、同じものごとを、
①自分の思考とはまったく違うやり方
②自分の思考とはまったく違う見方をしている人の視点
③問題の向こう側にある人の視点
④第三者や憧れの人の視点
等で見てみると、するりと解決策が見つかったりします。
また、新しい自分を発見したりできることも、あったりしなかったでしょうか。
この点については、まったくその通りで。
わたしも、自分だけの視点で、物事を考えないようにはしているのですが、まだまだですね(^^;
但し、ここには、ある種の危険があるように思うのですが・・・
それは、自分で考えもせず、思考停止のまま、受け取ってしまう場合です。
それだけを続けてしまうと・・・
自分の中に答えを探す。
自分のパターン化しているものに気づく。
そんなことを、しなくなくなっていた自分に、はたと思い当って、驚くことも(^^;
自分の気持ちを感じることをしないので、直感がどんどん鈍っていく感じでですね。
上司の言うまま。
力を持った人の言うまま。
憧れの人が言うまま。
そのまま丸ごと信じて。
わたし自身の気持ちが置き去りにされ。
いつまでも、外側に、
「正解」
を求めてしまう。
わたしの中にある、好きを感じること。
わたしの好きを、明確にするということ。
これが、わたしなのと言えること。
例え、他者からどう思われようとも・・・
「わたしはこれが好き」
と言えることは、自分に、
「覚悟」
を持つということでもあります。
いつも話題になる
「わたしらしさ」
って、わたしの
「外にあるもの(他者、評価、出来ごとなど)」
に対して、
「遠慮しないところ」
に見えてくるものではないでしょうか。
外にあるものへの
「配慮」
や
「礼節」
はあるけど、
「遠慮」
はしない。
「覚悟」
があるから、遠慮なく、
「わたしはこれが好き」
と言えるのでしょう、ね。
そんなわたしの
「好き」
や、
「嫌い」
や、
わたしは
「こう思う」
や、わたしは、
「こうしたい」
みたいな感覚を表に出していくのは、確かに、怖いかもしれません。
人の言葉を。
人の考えを。
纏っていれば・・・
そこに、人が、どう反応しようとも。
それは、自分自身の評価ではないのだから・・・
自分が守られるから・・・
ついつい、世間の評価に流されてしまう・・・
でも、はたして、本当に、そうでしょうか?
それで、わたしのこころは、守られるのでしょうか?
わたしは、わたしに、
「OK」
を、ちゃんと出せているのでしょうか?
必要な視点は、他者の視点を得て、豊かになることと同時に。
自分の感覚を持つこと。
また、人の評価に惑わされないこと。
そして、自分で選択し判断する力をつけること。
それらを両立させる努力を惜しまない事。
両立させてこそ、豊かな視点が生まれるのだと、そう思います。
どうしたって人は、
「わたしで生きていく」
のだから・・・
他者の視点の豊かさ。
そして、じぶんの好きのもつ力。
そこにある
「わたし」
が、
「わたし」
の人生を、豊かにしてくれると、そう思います(^^)