人生は本当に公平ですか?
毎日一緒にいても、わからないことってたくさんあります・・・・・・
その「わからない」を、自覚して受け入れることが、理解の第一歩です。
「人生は公平ではない。それに慣れよ。」ビル・ゲイツ(マイクロソフト創始者)
「人は、人生が公平ではないことを悟れるくらいに、成長しなくてはならない。そして、ただ自分の置かれた状況のなかで、最善をつくすべきだ。」スティーヴン・ホーキング(物理学者)
「あらゆる不公平のなかに、チャンスがある。」糸井重里(コピーライター)
公平ではない状況を嘆くのではなく、それをバネにして成長していこう。
公平かどうかを考えるよりも、自分がどうすれば成長できるかを考えよう。
満たされていないと感じることを、チャンスだととらえ動いてみよう。
世の中には、自分の力ではどうにもならない、変えることができない、不公平な状況は必ず存在しますよね。
どうにもならないことよりも、自分の置かれた状況で成長することを考えてみる。
安定して満足していれば、何か新しいことをやる必要性も小さくなってしまうので、逆に、満たされていない状況では、それを変えていこうという気持ちが起きるはずだからこそ、周りの人以上にがんばらなくてはいけないと、意識を変えていきたいものです。
必ずしも、みんなが同じことをする必要画はなくて・・・・・・
さて、人生は不公平だと思うことはときにあるものですがどんなとき、どんなことに不公平だと思いますか?
他にも、自分はがんばっているのになかなか周りから認められないところへ、大してがんばっていないような人のほうが、認められている、とか。
この人の考え方はすごく甘いと思うのに、なんでこの人はなんだかんだとうまくやっているんだろう?とか。
プラーベートや職場でのケース、扱われ方のケースもあれば、そもそも生まれてきた環境などにも、不公平だと思うこともあるかもしれません。
かと言って、どの親のところに生まれてくるかは意識的にはコントロールできませんし。
スピリチュアル的なお話をすれば、私たちは生まれてくる親を選んでいるとも言われますね。
人生は何かしらを学ぶためにあるのでその何かを一番学べる環境(親)を選んで生まれてくるとか。
何を学ぶかは人によって違うので、親や環境も違うということに。
これを不公平と呼ぶかどうかは考え方と選択の問題かもしれません。
但し、どの様な状況下であったとしても、学ぶ人は学ぶし、学ばない人は学ばず、学ぶ人は、必要な経験や体験等のために、今、お金を使い、お金を一切惜しまない人が多い様に感じます。
少々哲学的なお話になってしまいましたが人生は本当に不公平なのでしょうか。
それとも公平なのでしょうか?
生まれてきて死ぬ、というのは誰もが一緒だし、1日24時間というのも一緒ですね。
環境がどうあっても考え方や心は、自分で決めればいつでも自由だし。
このあたりは公平。
かと言って、すべての人がいつも同じ条件で生きている、働いているというと、そうでもありません。
少なくとも、外から見るとそうです。
不公平だなあ、と思うときに思い出したいのは、公平だとか不公平だと言っていても、とくに何も変わらないこと。
不公平だと思っても、とくに何も役に立たないし、助けにならないのですよね。
だから、公平だとかそうでないの前に、自分がどうしたいのか、が重要なのです。
そしてどこへ行って何をして、どう考えたら、そのどうしたいが実現できるか、そのために出来る小さなことは何か、そうしてそれを実行に移すほうが、公平だとかそうでないとかよりもずっと重要なのです。
ときに、目先の公平感や不公平感にとらわれて自分がどうしたいのか、一番大事なポイントを忘れちゃうのが人間なんですけれど、だからこそ思い出したい。
だって、実際にどう見ても恵まれた環境にあるとは思えない人が大きな成功を収めたり幸せになったり、自分のやりたいことをやったり、ってよくありますよね。
同じ人間だから、私たちにもその可能性はいつでもあるはず。
そう思ってみてはいかがでしょうか。