【小品文】ふわふわ踊る湯気にココロも踊る
グリエール:小品 Op. 35 - 第3曲 歌
R.ダニエルプール:自然の歌-第9曲 季節の変わり目(間奏曲)
エネスク:オーバード(朝の歌)
「楽しいこと」
と
「楽なこと」
の違いってなんでしょうか?
楽なことが楽しいとは限りません。
便利で楽なことが、かえってぼくたちの楽しさをうばってしまうこともあります。
そして、楽しいことが、難しかったり、複雑だったり、面倒だったり、時間がかかったりすることはよくあることです。
そればかりか、難しくて、複雑で、面倒で、時間がかかるからこそ、楽しい、ということも珍しくないと思います。
だから、ぼくたちはやっぱり、楽しいことを、楽なことから区別しておいたほうがいいのかもしれません。
ファストな
「楽」
を手に入れるために、スローな楽しさや、気持ちよさを犠牲にしないように注意しないと(^^;
「ラク」
と
「楽しい」
は別のことなのだから。
ラクで楽しいこともありますが、ラクでも、楽しくはないことも、つまらないこともあります。
反対に、難しくても、大変でも、苦しくても、楽しいことはあります。
「ラク」
や
「便利」
は、
「苦しい」
や
「不便」
から考えると
「幸せ」
でしょう。
でも、それを幸せに感じられる人は少ないでしょう。
また、
「ラク」
ばかり
「便利」
ばかりが続くと、
「当たり前」
になり、
「幸せ」
と思えなくなりがちです。
さらに、
「ラク」
ばかりしていると、自分を弱くしてしまい、その結果として苦しむことが多くなってしまうのではないでしょうか。
このことについて、先人はいろいろ言っています。
相田みつをさんは、
「使ったところが強くなる 頭でもからだでもその反対 使わぬところは」
と言っているし、ルソーは、
「子どもを不幸にするいちばん確実な方法は、いつでも、なんでも手に入れられるようにしてやることである」
と言っていました。
また、相田みつをさんは、
「ラクしてカッコよければしあわせか逆に骨を折ることは不幸か」
とも言っています。
価値あるものを手に入れるためには、
「ラク」
ではない努力が必要でしょう。
でも、その結果、それなりの
「幸せ」
を得ることができます。
努力しないで、得られる幸せは少ないでしょう。
また、努力を楽しむことも、工夫しだいで可能だと思います。
"No pain, No gain"
ですよね。
シェークスピアも、
「楽しんでやる苦労は、苦痛を癒すものだ」
とも言っているし、ね。
また、頑張った後の「ラク」は、けっこう
「幸せ」
に思えるものです。
そういえば、カントも、
「もっとも平安な、そして純粋な喜びの一つは、労働をした後の休息である」
と言っていましたね。
努力する時には、一所懸命にやる、できれば楽しんで。
楽しむ時には大いに楽しむ。
ラクする時には、ゆっくりとくつろぐ・休む。
これらのことができたらいいのではないでしょうか。
この3つの配分を、どういうふうにしたら自分が幸せかを考え、自分の生活・生き方を選んでいけたらいいのではないかと思います。
たとえば、今の自分の生活に足りないのは、3つのうちのどれかを考え、それを少し増やすことを考えてみるといいかもしれません。
何気ない毎日を過ごせること、それが1番のキセキだから(^^)
【参考記事】