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【小品文】本当に大切なものは目には見えない

鈴木啓太さん撮影

見えないからこそ確かに感じるココロの絆。

less=more、less=betterって考え方、ご存知ですか?

ひとつ、また、ひとつと引き算をしていって、モノを、

「less」

に(より少なく)してみることをオススメします。

すると、部屋の中のスペースは、

「more」

に(もっと多く)なって、部屋は広くなるはずです。

また、モノを使ったり、その手入れをしたりする時間がいらなくなって(less)、もっと多くの時間(more)が手に入れられることに繋がってきます。

これが、

「less=more」

です。

大切なのは、結局、

「量より質」

ということだと思いませんか?

「less=better」

つまり、

「より少ないことがよりよい結果につながる」

ということもあるのだと考えられます。

私たちのまわりには、たくさんのものがあり、物質的には、恵まれていて幸せです。

でも、もしかしたら、そのたくさんのもののせいで、空間や時間を食われ、私たちが自由に使える分を減らしている、ということもあるのかもしれません。

ものを減らすようにすれば、空間や、時間や、お金に、余裕が生まれるのではないでしょうか。

生まれた余裕をもっと有意義なことに使えたらいいですよね。

もちろん、必要なものも、便利で有効なものも、自分の幸せに貢献しているものもあるでしょう。

でも、本当に必要なものは、実は、そんなには多くないのではないでしょうか。

もう少しシンプルな暮らしのほうが、心も含めていろんな余裕が生まれて、幸せに暮らしやすいのかもしれません。

同様に、時間の余裕がない人は、やることを減らしてみるといいと思います。

それによって生まれた時間の余裕で、今やっていることをもっと楽しんだり、自分が本当にやりたいことをやれたらいいのではないでしょうか。

現在の生活を楽しむ余裕がない人は、何かを減らすことを検討してみてはどうでしょうか。

そのためには、

「more=better」

という思い込みを捨て、

「less=more」

「less=better」

もあることを信じて、何かを

「諦める」

ことで余裕を生み、心を大切にして生きられるようになれたらいいのだと思います。

そう、漢語の

「諦」

は、梵語の

「satya(サトヤ)」

への訳語であって、真理、道理を意味しています。

「諦観(たい(てい)かん)」

「諦聴(たい(てい)ちょう)」

といった熟語の

「つまびらかにみる、聞く」

にみられるように、

「つまびらかにする」

「明らかにする」

が、本来の意味なんですよ(^^)

そうであれば、発想の転換で、物事の道理をわきまえることによって、自分の願望が達成されない理由が明らかになってくるのではないでしょうか。

つまり、

「納得して断念する」

という思考のプロセスを、そこに見出せるはずです。

そう、単に

「あきらめる」

だけであれば・・・

悔い

怨み

愚痴

が残ってしまいます^^;

でも、物事の道理が明らかになった上でのことならば・・・

納得しての

「諦らめ」

となって行くと考えられないでしょうか。

それは、一切が、

「相対的な存在」

でしかない、と良い意味で諦らめ、執着しないことが肝要ですね(^^)

阿部真央「どうしますか、あなたなら」


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