自分が幸せなることに遠慮しないで
自分がハッピーと思えるかどうか、自分がハッピーだと思う選択をするかどうか、ここが人生の鍵を握る、と私は常々考えています。
たとえ、状況がどうなって、どう見てもこれはちょっと大変だと思うようなことになっても、それでもアンハッピー・ムードに支配されずに、ハッピー・ムードを持ち続けるエナジーがあるかどうか。
そのためにも、普段から準備して、自分のエナジーを良い状態にしているかどうか。
ともすれば、ネガティブムードに負けてしまいそうなのが人情ですが、ここで流されずに踏みとどまる努力をするかどうか。
また、世の中はなぜか(本当になぜか!)ネガティブムードが好きなようで、だから多くの方は必ず一度はネガティブムードに巻き込まれるし、そのまま戻って来れなくなってしまう方がいるのも事実。
気がつきたいのは、自分で決めていいハッピーやアンハッピーなのに、いつの間に流されてアンハッピーを自分で選んでいるのに、自分で選んでいると思っていないこと、です。
もうちょっとわかりやすく言うと、自分がアンハッピーだったりネガティブだったりするのは、ここがうまくいっていないから、とか、誰かが何かをしたから、言ったから、と外側の何かが原因でそうなっている、と思ってしまっているけど、ホントはそうじゃない、という意味です。
外側の要因は常にあるもの。
でもそれをどう解釈して自分がどのムードを選ぶのかは、意識していないかもしれませんが、実は選択しているのです。
自分が選んでアンハッピーになっているはずがない、と思うかもしれませんが、ホントにそうなんです。
もちろん、常に何かが起きている人生、その時々でいろいろな感情を持つのは別に自然なことで、これは否定しなくてもけっこう。
その感情を認めるのも、自分を知る上で大切だったりします。
ただ、その後、が大事。
何かが起きて、そのときは嫌な感覚に陥るけど、そのままにするかどうか。
思い直して気分転換を図り、気分よくいられるようにするかどうか。
人によっては、しばらく落ち込みたかったり、ネガティブになってみたかったりもするから、それもよし。
でもずっと続けるかどうか。
すべてはなんだかんだと選んでいるのです。
で、この「アンハッピーになることを自分が選んでいる」という感覚がつかめないと確かに幸せになるチョイス、というのもつかめないのかもしれません。
幸せになるチョイスが自分で選べる、と意識できないならほかのことをする、つまり無意識にアンハッピーを選び続けている、ということに。
私たちは、いつでもどこでも心の自由があります。
思想や哲学とか、今までの状況やすべてのもの、いろいろなものを超えて、何をどう思うか、本当はいつでも自由に選べる。
これって本当にすごいことで、なら、賢く自分のプラスになるように使わないと損です。
幸せも不幸も自分で選べる、そしてどっちを選んでも、同じだけのエナジーを使います。
不幸でいて逃げていくエナジーは、ハッピーでいるための努力のためにかかるエナジーと同じ。同じ使うならどっちを選ぶか、答えは本当はシンプルなはず。
人間は、本来ハッピーでいるのが自然な姿。
だからもっと遠慮しないで、ハッピーになっていいのです。
もしあなたが、ハッピーになるためにはあれとこれが必要だと思い込んでいたらその思いをちょっと手放して、今から私はハッピーだ!と決めてみてください。
この際、思い込みから始めるほうがややこしくなくていいです。
そして自分の幸せを誰か(何か)のせいにしたり誰かに依存させたりしないのも大事。
経済状況も恋人も家族も仕事も、私たちの幸せをより大きくしてくれるものだけれど、それが幸せの素、それがなくては幸せになれないと思わないで。
一番の幸せのベース(基礎)は、自分ひとりでも十分作れます。