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【課外授業(心理)】自分という他者を味方につけよう


Yusuke Suzukiさん撮影

人間の心って、

外側:周囲の環境

内側:潜在意識

のバランスを、とろうとする習性があるんですよ。

環境(外側)を変えれば、潜在意識(内側)は、それに説得されていくものなのだそうです。

特に、潜在意識は、

「見てないようで見ているところ」

なので、要注意です^^;

つまり、周辺視野から入ってくる情報に、ものすごく流されやすい性格、ん?意識なんですね。

潜在意識的には、

嫉妬

怒り

を感じる時点で、既に、劣等感の暗示になっているそうです。

でも、

嫉妬

怒り

は、どんなに打ち消しても、なかなか、直ぐには消えくれないんだよねぇ^^;

だって、血の通った人間なんだから、

嫉妬

「遠く來しもみぢの山にみづからの修羅見てめぐる 旅とはなに」
(畑和子『白磁かへらず』より)

「はや葉月 街のはなやぎ運び来る友の日傘はまぶしすぎるよ」
(永井陽子『小さなヴァイオリンが欲しくて』より)

「能面の内より見る世はせまく細くただ真つ直ぐに歩めよといふ」
(梅内美華子第六歌集『真珠層』より)

怒り

「動物園に行くたび思い深まれる鶴は怒りているにあらずや」
(伊藤一彦『月語抄』より)

「草木は怒りもたねば怒りたる人は紅葉のなかに入りゆく」
(外塚喬『漏告』より)

「かなしい歌詞に怒れるきみは紅葉のなかへあたしをつかんでゆきぬ」
(雪舟えま『たんぽるぽる』より)

があるのは、当たり前だから。

嫉妬も、何も感じないというのは、逆に言えば、目標に向かって、真剣に取り組んでいない、もしくは、あきらめている、ということかもしれないので、適宜、確認してみてください、ね。

だから、そんな状況も踏まえた上で、打ち消すのは、無理なんだと認めたうえで、嫉妬や怒りが、行き過ぎないように、

■感情をそのまま受け止めて観察してみる

■自分を他人に置き換えて考えてみる

■自分の本音を聞く

等の視点を持ち、客観的にバランスをとってみる。

これが、唯一のコントロール術なんですね。

嫉妬でも、怒りでも、メカニズムが分かっていれば、それが起こったときにも、冷静に対処できます。

ようするに、嫉妬してもいい、怒ってもいいって、ことです(^^)

自分の目標に向かって頑張っているんだから、それを感じるのは、当たり前なんだと。

だけど、その感情はプラスにはならない。

自分の醜い感情は、どうしても、見て見ぬ振りをしたくなりますよね。

けれども、マイナス感情は、誰にでもあるもの。

その感情に、振り回されずに、前に進むためにも、問題は、バランスなんだと気付けるかどうかです。

自信をもつのに、根拠なんていらないと思います。

むしろ、根拠がないからこそ、自信なんじゃないでしょうか。

根拠というのは、

「過去」

のことですよね(^^)

過去の実績に対して、自信があるのは、当たり前の話でしょ。

ただの事実にすぎません。

それに、なにかしらの根拠を求めているということは、

「不安要素を排除しようとしている」

不安のあらわれです。

これでは、本物の自信ではありません。

そして、根拠がないからこそ、何度、失敗してもいいんです。

失敗によって、自信を失う必要はありません。

潜在意識的に考えたら、なにもしないで、

「あのときやっておけばうまくいったかも」

と思うよりも、果敢にチャレンジして、

「この方法ではダメだった」

という気づき(学び)を得ることの方がずっと生産的ですから(^^)

そして、再び、根拠のない自信を持って、新しい課題にチャレンジしていけば、いいのではないでしょうか。

ただねぇ、人は、とっても弱いよね^^;

些細な言葉で傷もつくし。

そんなことが多くて、心から血が流れた日も。

でも、誰かと話すことで、考え方を修正してもらい、元気を取り戻すこともできた。

いらない言葉は流すことですね。

何か、痛い言葉を投げつけられた時、自分にとって大切なエキスは残すけど、それ以外の相手の思いつきのような冷たい言葉は、聞き流すことができたらよいよね。

きっと、相手は言ったことを、覚えていなかったりするもんです。

そんなことに、いちいち、こちらの心を乱されていたら、時間の無駄。

反省すべきはして、それ以外は捨てる。

それが大事だなって、そう思います。

だからこそ、味方でいてくれる誰かがいれば、もっと強くなれるんですよね。

現実は、残酷な時もあるけど。

うんうん。

そうなんだよ。

でも、だからって、殻にこもっちゃってばかりだと、何も始まらないよね。

時には、挑むことだって必要かなって。

そんな勇気をくれる人が、そばにいますか?

味方って大事だけど、視点を変えてみると、ご存じのように、「常」は、コンスタント、一定不変という意味です。

その反対は?

「無常」

一切の存在は、例外なくすべて移り変わる、と示す仏教用語です。

私達は、現在進行形の人生や世界のなかで生きています。

ちょうど今の季節だけど、

「世の中は三日見ぬ間の桜かな」

っていう句があります。

三日見ないうちに散ってしまう桜のように、世の中の移り変わりが激しいことを言っているのですが、儚さを感じるだけでなく、三日見ぬ間に桜のつぼみがふくらむ成長も無常を示すと見究めるのが、仏教で言うところの無常観。

時間(とき)は流れます。  

嫌な事があっても、嬉しいことがあっても。

ただ、ひたすら、時間は流れる。

時間が止まって欲しいと願っても。

でも、時間は流れていく。  

朝・

昼・・

夜・・・

春・・・・

夏・・・・・

秋・・・・・・

冬・・・・・・・

感情も悪くなったり、時には、良くなったり、留まるところをしらず、移ろい変わっていく。 

それでも、時間は、流れていきます。

何かに向かって、ただ、ひたすら。

今、悩んでいることも、悲しいことも、全てのものをのみ込みながら、いずれ、今、悩んでいること、苦しんでいることも、忘れ去られてしまうくらいに、時は流れていきます。

時は、全て、私達の味方なんですね(^^)

光の速度は、真空中では、毎秒三十万キロメートルで一番早い。

氷河の流れは、一昼夜で、三十五センチメートルで最も遅い。

差はあっても無常。

自分の時を、大切にしていかないとね(^^)

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