人の期待に応えるバランス
あなたは誰にどんな期待をされていますか?
期待というほどでなくても、たとえばあなたへのイメージだとか、「こういう人だ」と思われていること、などもそうです。
それと、周囲の期待に応えることは、自然なこと?
それともちょっとプレッシャーになったり、おかげで無理しすぎてしまうときがあったりしますか?
またはもしかして、苦痛に思うときもあったりはしないでしょうか。
人から期待されることは、基本的には嬉しいし、良いことです。
信頼されている証拠だし、そうでなかったら、そもそも期待もされないでしょう。
人間は期待されると、とくにこちらが信頼している人に期待されると、自然とそれに応えようと思うもの。
その期待に応えようとする気持ちがパワーとなって、今まで出来なかったことができたりもします。
スポーツでも応援してもらって、やる気が出たり、励まされたりでがんばれたりします。
日常生活でもそれほど変わりません。
ただ、ときに周りの期待に応えることにはバランス感覚もいるかもしれません。
期待に応えることができるなら、応えたほうが自分も楽しいもの。
たとえば、あなたはいつでもエネルギッシュで元気な人、まじめな人、いい人、強い人と思われていたとして、それが自然にできるならみんなハッピー。
でも人間なら、たまには元気でないときも、まじめでいたくないときや、それほど強いわけでもいい人でもない、と反発するときもあるはず。
また、周りはそう思っているけど、ホントの私は違うんだよ、と感じているときもあるかもしれません。
元気じゃないのに、元気なフリをするのも疲れます。
強い人だと思われていて、その期待に応えるために、そうでもないところを見せられないのも、常にいい人でいるのも、またつらいもの。
そのとき、どうするか。
周りの期待通りの人でいるよう、がんばって振る舞うのか、それとも?
こうしたジレンマに陥ったら、自分に聞いてみましょう。
自分で期待に応えたいかどうか。
それが自分にとって本当によいことだと感じられるか。
期待通りになることが自分を無理に変えたりすることにならないか?
いくら周りの期待に応えたくても、その期待があまりにも自分とかけはなれていて苦しい場合、本当にそれで自分にとってプラスかというとそうでもありません。
ちょっと大きく期待されて、いつもよりがんばれてできる、というならそれはそれでいいですね。
それはひとつの成長のチャンスとも捉えられます。
でも自分にとってプラスじゃない場合、長い目で見たときに、周りへもマイナスになりうる可能性が出てきます。
一時的に自分をだましてでも周りを喜ばせるのは簡単かもしれないし、その場はそれで収まっていいけれど。
でも、果たして、「私はそれでいいの?」と正直な気持ちになったとき、自分の答えはどんなものでしょうか。
周りの期待ばかりを優先せず、ときには自分の正直な気持ちに耳を貸すことも、忘れないでください。
著述家であるラ・ロシュフコーも、「期待と不安は分かちがたい。期待のない不安はないし、不安のない期待はない。」と言っていましたが、マイナスの感情が悪いと決めつけるのではなく、どんな割合と頻度が望ましいのかそのバランスで考えてみてください、ね。
マイナスの感情は上手く利用すれば、プラスに変化します。
周りの期待に応えるために自分が苦しくなっていたら残念だし、いつかは爆発したり、ポキっと折れたりしてしまうこともあるので、プラスとマイナスの感情を、上手く共存させていくように心がけてみてください。
もしかしたら、ときには期待に応えない勇気を出すのが必要かもしれません。