ブランケットにくるまって、のんびり読書。
人が一生の間に読める本というのはどれくらいなのだろうかと・・・・・・思ったことありませんか?
研究者でもない限り、毎日読書に没頭するとしても、学校があったり、仕事があったり、つきあいもあるだろうし、テレビも見るだろうし、音楽やゲーム、旅行に出かけたり。
となれば、自ずと読書に割ける時間というのは決まってくるわけで、1日1冊などというハイペースで読めるわけがないってことになってしまいます。
尤も、速読とは言わないまでも読書スピードが速い人は大勢いるので、遅読の人間に比べたら、遙かに大量の本を読めるはず。
単純に年間300冊読むと、50年間で1万5千冊読める計算になりますが、それでも、僅か1万5千冊です。
インターネットで調べると、年間で出版される本の数は、2019年度において約7万2千冊あるといいます^^;
もちろん、再版も漫画も写真集も含めてのことだと思うから、読み物としての本はその何分の一かになるのかもしれないけど、それでも、人が毎日本を読んでも、おそらく1年間に発売される本を読み切ることすら難しいのではないでしょうか?
それでも、読書は楽しいものです。
だけどその楽しさは、楽しい作品を読む楽しさであり、同じ時間を他の書物に費やした人とは読んでいる内容が違っていてもいいと思います。
その違いは、食べ物の好き嫌いと同様に、あるいは音楽の好き嫌いと同様に、書物も基本は嗜好でしかありません。
そう、本は嗜好品なんですよね。
尤も、嫌いといえるのは、1回以上読んでいるからで、読まない作家には好きも嫌いもないんだけど、ね(^^)
子供のうち、あれを読めこれを読めと言われるのは、決して悪いことではないと思います。
ただし、投げ出した本を無理矢理読ませることはないとも思う。
本には面白いものとつまらないものがあり、その基準は読者が持っているだから、それが子供でも大人でも同じなのだと思います。
三島由紀夫や太宰治を読まなくても、人生にさしたる違いはありません。
・・・・・・いや、場合によってはあるかもしれないでしょうが、それが本人の選択によるのであれば、それでよしなのだと思います。
また、読書の悦びというのが、人類すべてに共通しているのかどうかは解りませんが、多くに共通していることだけは否めないのも事実だとは思います。
楽しい本を読むことは幸せなことです。
それが、人生の有り様を読者に考えさせる本でも、銀河系を遙かに超えたところで迷子になっている地球の上で、巨大なアリと交渉している話でも、どちらも価値は一緒だって思います。
暇があればどこでも本屋に駆け込みます(^^)
そう、本に、今でもハマってます!
一生のうちで読める本の数は限られているから、いまからできるだけ沢山読まなくてはもったいないような気がして。
でも、1冊1冊を大事に選ばなくては・・・・・・
面白い本は沢山あるのに読めない自分がもどかしいですねぇ。
そうそう、西洋のことわざに「渇くまで待つ。まず生き、それから深く思索せよ。」ってあります。
本を読む時間が取れないことを悲観する必要はなく、そのぶんの時間を実践に全力投入できていることをありがたく思ってみるって考え方も有りだと思います。
そうして、ちょっとした空き時間ができたときにたまたま手に取った本にまさに求めていたような答えが書かれていたりしたら、素敵ですよねぇ(^^)
こうした偶然とも思える「まさに求めていた」ような出遭いがあるのは、日頃のがむしゃらな実践があるからこそであり、日頃から本を読みまくっていたら「求める」間が作れないかもしれません。
渇く間もなくがぶがぶ水を飲んでいるようなもので、渇きが癒えるというありがたさが麻痺している状態と言えます。
まず行動し、それから深く本を読む。
優雅な朝のひととき♪
大事にしていきたいですね(^^)