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【俳句(その2)】「心の中に花束を」

「春色を纏へたこころありがとう」

「耐える」だけが精神力ではありません。

心の支えは、時に、たましいの重荷になることがあります。

うそが常備薬になったり、真実が劇薬だったりします。

【参考図書】
「こころの処方箋」(新潮文庫)河合隼雄(著)

【参考記事①】

「目先を照らす役に立っている灯ーそれは他人から与えられたものであることが多いーを、敢えて消してしまい、闇のなかに目をこらして遠い目標を見出そうとする勇気は、誰にとっても、人生のどこかで必要なことと言っていいのではなかろうか。」(「こころの処方箋」p117より引用)

私達のこころの処方箋のひとつとして、好きな花でつくった花束を自分のこころにも、そして、同じ好きな花でつくった花束で、ほんの少しでも、

・やさしい眼差しで相手を見つめること。

・穏やかな笑顔で接すること。

・愛情のある言葉で接すること。

・自分の身体を使って奉仕すること。

・人のために心を配ること。

・席や場所を譲ること。

・雨風をしのぐ場所を提供すること。

こんな感じで、周りの人を幸せにできる様に接することを心掛けることができたなら、春色を纏えたこころに変われるのかなと、そんなふうに思います(^^)

その好きな花で作った花束を、お家に飾ってみるのも良いね。

お家に生花を飾ると、今の季節の彩りを身近に感じることができて、暮らしに張りをもたらしてくれませんか?

そんな花のある暮らしの魅力を、もう1歩踏み込んで、前述の様に、私たちのこころの中で楽しむだけでなく、相手にもお裾分けすることができると、互いの心相も明るく変わって行くように思います(^^♪

今の自分が求めているパワーを授けてくれるような花束を、お部屋の好きな場所に、心に飾って、周りにも心配れたのなら、慣れ親しんでいる身近な花でも、また、特別な魅力を感じ取れる様になれるかもね♪

例えば、こんな感じの花束を、こころの中に咲かせてくれたことに感謝して、同じ花束を贈ってみませんか?(^^)

優しく力を呼び起こしてくれそうな感じ(ガーベラ(思いやり)×バラ(温かな心)×スイートピー(優美))

心をやわらかく奮い立たせてくれそうな感じ(トルコキキョウ(優美)×ガーベラ(思いやり)×レースフラワー(細やかな愛情))

元気いっぱいの雰囲気になれそうな感じ(ガーベラ(限りなき挑戦)×マーガレット(信頼)×かすみ草(幸福))

そっと元気づけてくれるような感じ(トルコキキョウ(優美)×ガーベラ(思いやり)×スプレーバラ(温かい心))

心の深いところを癒してくれそうな感じ(アルストロメリア(気配り)×ラナンキュラス(あなたは魅力に満ちている)×カーネーション(癒し))

穏やかな癒しを与えてくれそうな感じ(マトリカリア(楽しむ)×かすみ草(幸福)×ヤロウ(治癒))

そんな感じで、ふっと肩の力を抜いて過ごせたら良いよね♪



【ちょっとした雑感】

「心に咲く花」

誰もが、必ず何か特別なことをしなければいけないなんてことはないよね。

自分であることがすでにそれで他とは違うことことなんだから。

でも、多くの人が特別な何かを求めて、道に迷ってしまうのかなぁ^^;

だから、本当にやりたいことが見つかるまで、のんびりすごすのもひとつの案ですね(^^)

肩の力をちょっと抜いて、ひとやすみ。

そんな道に迷いやすい現代だから、横断歩道を渡るより、歩道橋を登ってみるぐらいの余裕を持って、自分探しをするのもありかなと思ってます。

結局、自分の心の声を聞くことが答えを見つけることの一番の近道なんでしょうね(^^)

子供の頃好きだったこと、時間を忘れて夢中になっちゃうことってあったよね。

それが、今は仕事として考えられないとしても、やり続けることで、いつか受け入れられる時代がくるかもしれません。

それに、続けるということで、自分の中に蓄積されるものがあり、いつかそれが武器になったり自信になったりするんだと思います。

心に咲く花はとても見えにくいと思います。

でも自分とちゃんと向き合って、見つけることができたら、追いかけてみるのもありですね。

Lindsey Stirling「Take Flight」

この曲は、小さな小学生の男の子が何の希望もなく、どうしようもなくなった時、自殺まで考えたと言っていたことを受けて、そのような場所からTake Flight( 逃げ出すのではなく)、Take Flight(飛び立ってほしい)という気持ちから、この曲ができたそうです。



「花ぬすびと」

春には春の、秋には秋の、それぞれの季節に似つかわしい花が咲くものです。

これが自然の摂理なのでしょう。

しかし、ときとして、人の世のこと、季節に背いて咲く花にも、また魅かれるものです。

春の日の柔らかな日差しの中で、桃や桜などの淡い暖かみのある花たちに包まれていたいと。

また、晩秋の小春日和の穏やかな日差しの中に、凛とした色姿で咲いている桔梗や竜胆の花に、想いを寄せることも。

人の心に咲く花は、育ちやすく。

そして、枯れやすい。

ときとして、それが溢れ出ずる想いへとつながるとき、物語が生まれるのでしょうね。

頼りげなく野分の風に揺らぐ花。

南向きのベランダに咲き誇る花。

植物園の温室で咲かされた花。

そぼ降る雨に濡れた花。

日陰にひっそりと咲く花。

そして、名も知らぬ花。

花にもいろいろあるでしょう。

しかし、どんな花でも、咲いた花ならば、いつか枯れていくのもまた定めでなんですね。

乃南アサ「花盗人」に、

『あなたが私にくれたものは

 あの桜の小枝だけ
 
 あなたが盗っていったものは
 
 私のすべて』
 
の一節があります。

知らぬが花。

もの言わぬ花。

そして、言わぬが花。

なのかも。

また、世阿弥「風姿花伝」の中にも、

『秘すれば花なり

 秘せずは花なるべからず 』

なる一節があります。

でも、自分の心の中に咲く花だけは、毎朝水をかかさずに、いつでも、いつまでも枯れさせたくないものですね。

あなたの花、しぼんでいませんか?

ドライフラワーになっていませんか?

ヰ世界情緒「かたちなきもの」



「道端に咲く花」

踏まれてしまうからと摘み取る人。

錘のはいけないと触れない人。

踏まれないようにと植え替える人。

あなたは?

「思いやり」って、それは、一体どうすることだろうか?

原由子「花咲く旅路」

世の中の流れに、ついていくかどうかは自由ですね。

世の中の流れの変化を楽しむのもよし。

世の中の流れは気にせず、マイペースでいくもよし。

でも、毎日は、白と黒、隙あらばひっくり返る、表と裏。

まるで、オセロしてるみたいだよね(^^)

でも、素直には上手くいかない。

多分誰もが経験する綱渡り。

ぎこちないかたいリアルを受け止めていかないというもどかしさもあるしね。

でも、そんな旅路に白、黒以外の色で咲く花で彩っていきたいねぇ(^^)

世の中の流れに、急かされ。

翻弄されないようにするためには、自分の意思と心の余裕をもつことが大切なのかなぁ。

でも、この曲を聴いてると、小春日和の日にお散歩したくなってきたぞ♪



「天に星 地に花 人に愛」

「天にありては星 地にありては花 人にありては愛 これ世に美しきものの最たらずや」と明治の評論家高山樗牛は語っています。

武者小路実篤の好んだ画讃にも「天に星 地に花 人に愛」とあります。

もとはゲーテの「天には星、地には花、人には愛が不可欠である」のようです。

でも、出典はともかく、とても素敵な言葉だと思いませんか?

そう言えば、昔の歌で、"優しい人が言いました「天に星、地には花、君に愛を・・・・・・」"で始まる歌詞の曲がありましたね。

薬師丸ひろ子が歌う「天に星、地に花」。

薬師丸ひろ子「天に星、地に花」

でも、この歌は、素直になれずに、失ってしまった愛・人をしのばせる歌で、聴いていると、せつなくなります。

話を元に戻すと、「天に星 地に花 人に愛」とは、自然の美しさと人の愛、自然の摂理に従って一途な気持ちで咲く花。

これが美しいものの最高のものかもしれませんね(^^)

ここからは、少し余談ですが、みなさんは、なぜ植物が花を咲かせるのか考えた事はありますか?

もちろん植物学的には、その答えは繁殖活動の一環なのかもしれませんが。

でも、例えば。

日本人が愛して止まない桜ひとつをとっても、単なる種子のためにあんなに沢山の花弁が必要なのでしょうか?

それに、真冬で昆虫がいない時期に花を咲かせる花だってあるし。

そもそも蜜も出さない花があったり。

いろんな形態の花が数え切れないほど沢山ありますよね。

人間の理屈だけじゃ説明しきれない。

いろんな花の生態や咲き方があるように思います。

なぜ花は咲くのか?

【参考記事②】

それらは、その花が自分の生の証を精一杯表現しているんだと思います。

植物は植物なりに。

この世に生を受けた悦びやその生命の証を"花"で表現しているんだと思います。

そう、花は、花なんだから美しいに決まっている、って思っていませんか?

でもそうじゃないですよね。

だって、動物は花を愛でることはないし。

人間だって花に興味がない人だって結構いるし。

美しいものは、人を幸せな気もちにしてくれます。

人を愛する(人を幸せにする)(分かろうと努力する=優しさ)ことは、自分の幸せにつながります。

また、それを見る人が美しい行為だと思うこともあるでしょう。

そう、花の美しさは、花そのものにあるのではなく、花を美しいと思う人の心にだけあるんだと思います(^^)

自分だけの幸せを追究していくと、どこかで行きづまるような気がします。

人を愛することなら、どこまでも広げていけたり、深めていけたりできるのではないでしょうか?

人を幸せにすることは、(自分にとっては)やましさのない幸せ、(人から見ると)美しい幸せ、と言えるかもしれませんよね(^^)

八木重吉の詩の中に、次のような詩があります。

「花は なぜ美しいのか ひとすじの気持ちで 咲いているからだ」

また、高田敏子の詩の中にも、次のような詩があります。

「花は咲く だれが見ていなくても 花のいのちを美しく咲くために 人は人であるそのために 生きているのかしら」

私達は、八木重吉・高田敏子さんの詩のように、「ひとすじの気持ちで咲いている」又「だれが見ていなくても」を共感出来れば。

人として精一杯生きて行く事の大切さを素晴らしさを『花』から学び取る事が出釆ると思うのですが、 如何ですか?

中孝介「花」 2016ver.



「咲う」

「咲う」を、何と読むかご存知ですか?

「咲」は、“人が口をあけて身体をしならせてわらっている形”だそうで、咲うは、「わらう」と読みます。

「花が咲く」には、「花が開く」とは異なり、花が“わらいかけてくれている”と感じる日本人の花への気持ちが入っているんですよ。

冬の寒さがあるからこそ、春の日差しに花は、一斉に咲きはじめるんですね。

花の笑顔があふれる季節なりましたが、時には時間をかけて、その、待つ楽しみを、大人の醍醐味として味わってみる。

大人になると、待つ楽しみは自分で作ることが多い。

寂しいとき、

花をみると癒されるって、

もしかして、

それは、

ううん!

ほんとうに!

花が咲い(わらい)かけてくれるから(^^)

いつの間にか、

こころがほぐれてくるのんじゃないかなぁ~って感じます。

微笑が浮かんでくると、

縺(もつ)れた糸口が、

唇のはじから解けて、

自然に笑顔がこみ上げてくるのでしょうね(^^)

詩人のエミリー・ディキンソンは、

「花が咲くのは結果である。にもかかわらず、通りすがりにたまたま花を眺める者が、こまごました部分が開花に果たした役割を思うことはまずない。」

と言っていましたが、目立つことのない地道なことをやり続けなければ、持続できる結果は出ないし、派手で目立つ部分だけに注目すれば、再現性のない一時的なもので終わってしまうから、結果を出すためには、それなりの時間と過程が必要だということを認識して、咲いながら、楽しんで行きたいね。

また、同じ詩人の坂村真民は、

「花は一瞬にして咲かない。大木も一瞬にして大きくはならない。一日一夜の積み重ねの上にその栄光を示すのである。」

と言っていましたが、短期間で大きなことを成し遂げることだけを考えていては、確固とした基盤は築けないから、小さな積み重ねを大事にして、確実に前進、成長する習慣を築いていくことで、時間をかけた積み重ねは、将来の揺るぎない基盤と自信をもたらすことになるはずです。

そして、思想家である中村天風は、

「自分が知って知らずに関わらず、蒔いたとおりに花が咲く。」

と言っており、いま種まきをしていなければ、その結果として花が咲くことはないから、いま行動していることが、将来結果として現れてくるのであれば、どんな花を咲かせたいかをイメージして、そのための種まきをしていこうぜ!!

夏川りみ「花 ~すべての人の心に花を~」



で、一般に植物は、ほとんどが花のちがいで種類を決めています。

したがって、花の種類というのは、花のさく植物の種類と同じ数になります。

花のさく植物は、世界中で約20万種ありますから、花の種類も約20万種と考えていいらしい( 一一)

全部、確認するのは、時間的に無理ですね(^^;

そこで、ちょっと調べてみたら、これとはちがう花の数え方もあって、それは、形や仕組みのよくにた花をひとつのグループと考えて、まとめて数える方法。

つまり、にている花をグループにして、そのグループの数を数える。

したがって、グループの数だけ、花の種類があるということになります。

グループに分けるわけですから、先に述べた20万という数字よりは、はるかに少なって、この方法で数えると、日本の植物のグループは全部で155しかありませんって言うけど、それでも多いなあ(^^;

今、みなさんの心の中に花束を作るとしたら、どんな色の、どんな花で、花束を作り、その花束を贈りたいですか?(^^)

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