【猫を踏めば】そこから事件が始まる
会社をさぼって、何処かに行けば、何かが起きるかもしれない。
その可能性を、知りつつも。
わたしは、違うことを、思ってしまう。
だって、人間なんだから。
そして、昨日も、今日も、たぶん、明日も、会社に行く自分と向き合いながら、過ごす日々。
「これでいいのか?」
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「これでいいのだ」
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という言葉は、お釈迦さまの姿勢にも沿っているか(^^)
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これは、
「すべてをありのままに受け入れる」
悟りの境地を、ある意味示していて、ここで、赤塚さんの葬儀の弔辞を、白紙の原稿で読んだタモリさんの言葉を紹介すると、
「あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。
それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。
この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。
すなわち、「これでいいのだ」と。」
全ての事態を、例えば、この短歌の様に、あるがままに、一旦、受け入れてみることによって、
「草臥れて立ち上がれない夜もある会社近くのドトールの隅」
「パトラッシュが百匹ゐたら百匹につかれたよつていひたい気分」
「わたくしが働かなくていいところ宇宙のどこかにないかなあ ない」
「わたくしはけふも会社へまゐります一匹たりとも猫は踏まずに」
(本多真弓『猫は踏まずに』より)
「過去」や「未来」を離れた「現在」に、意識がフォーカスされるのではないでしょうか。
それで、いいんだよね( ^^) _旦~~
そのことによって、この短歌の様に、今の瞬間が、輝きを帯びてきます。
「あいたいとせつないを足して2で割ればつまりあなたはたいせつだった」
(千原こはぎ)
「しばらくは 離れて暮らす コとロとナ つぎ逢ふ時は 君という字に」
(タナカサダユキ)
そんな事に気が付いて行ければ、それらが道標となって、そうやって乗り越えて収束した先に、未来が待っている。
そして、過去や未来に起因する無駄な悩みがなくなってきて、セルフ・コンパッションから「あるがまま」の受容へ繋がっていくんじゃないかなあって、そう思います(^^)
そうそう、前述の歌集の表紙を取ると、折り込まれて、人の目に触れない場所に、
「平明なことばはつばさ おほぞらを翔けてみしらぬきみのまなこへ」
という歌が、ひっそりと印刷されていて、粋な計らいもあり、読み応えのある歌集です。
【参考図書】
「図書館の外は嵐 穂村弘の読書日記」穂村弘(著)
「きっとあの人は眠っているんだよ 穂村弘の読書日記」(河出文庫) 穂村弘(著)
【おまけ】
朝、昼、夜。
時間で選べて。
おいしく変わて。
なりたい自分に近づいていけたら儲け物。
これイイんじゃないかと、試しています(^^)/