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正直者はばかを見ない

出典:www.pexels.com

正直者は馬鹿を見る、と言われてきました。

確かに、正直者でない人がいる以上、ときにだまされたり、正直でない人と比べてうまく立ち回れなかったり、ということもあるかもしれません。

ばか正直でいたために、損をしてしまった、とか、傷ついた、なんていう経験をしたこともあるでしょう。

正直でいることだけが能じゃないかもしれません。

この時代、ウソも方便なんてこともあるでしょうしそれで成功してきた人もいるかもしれません。

そうして、正直でいるだけではダメなのかも、という思ったり、実際に損をしたり、いやな思いをしてもそれでも本当に正直な人はいつまでも正直なもの。

これはどう考えたらいいでしょう。

なぜそうなのか。

そしてポイントは、正直でいることが本当に損で、正直者は馬鹿を見るようにできているのでしょうか。

正直でいることは、私たちにとってひとつの価値観の選択肢であり、哲学(ポリシー)であり、スタイルであり、キャラクターでもありますよね。

道徳的にみて、常識的に見て、正直は確かにとても質の高いものです。

でも、善し悪しは別として、価値観として「正直」を持たない人もいれば、正直であることが大事な人もいます。

哲学として正直でいる、自分の中のポリシーとして正直を掲げている人もいれば、そうでない人もいるでしょう。

たとえば、正直が大事な人にとっては、ほんの小さなウソでも、心にひっかかって大きな負担になります。

となると、正直でいることのほうが、馬鹿を見ないことに。

だから常に馬鹿を見るわけではないのです。

正直であることをどう自分の中に位置づけるか、このあたりは個人の選択の問題です。

正直でいることは素晴らしいけれどときには正直でいすぎることで話がこじれることもあるでしょうし常に正直であるべき、なんていうお話ではありません。

ただ、周りに対して正直でなくてもすむときがあっても、自分に対して正直でいられないことは幸せへの道を阻むことになります。

自分の本当の気持ちや感情、考えていること、ここに関しては、ウソが通じないところ。

自分で自分をだますことはできません。

自分をだましだまし過ごしていることは、苦痛のはずです。

ただ、人間は知性も持っているので、一時的に自分をだますことはできるでしょう。

また、周りの言うことに耳を傾けることもできるときは周りの声が気になることもあって、自分の気持ちよりそちらを優先することもあるでしょう。

さらに、何が正しい・間違っているというのと、自分の正直な気持ちとは、ときに食い違うときもあり正しいことにこだわっていれば、正直な気持ちが無視されることも。

一時的にだますことはできても、だましだましでは自分がゆがんでいき、そのゆがみはいずれ痛みに。

どこかで正直にならないと、その歪みはいつまでたってもとれないかもしれません。

ゆがみのない自分とは、本来の姿だし、自然だし、これが結局自分らしさでもありますよね。

自分らしくいたいと思っている人がどれほど多いか、だから、自分に対して正直にいるなら、馬鹿を見ないようになっています。

自分が本当に欲しいものだとか、やりたいこととか自分の感情とか、心の声は抑えていても、そこに存在しています。

だから無視せず、認めて尊重して、それに沿っていられるよう努力するほうが、前向きで建設的にいられます。

正直でいることは、ときに勇気がいることでもあるけれど、その向こうにあるものは、心にひっかかるものがないとても楽な気持ちです。

自分自身に正直になりましょう!

そうして初めて、自分自身と自分がなりたい場所に真実が見え始めます。

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