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【日常茶飯事】朝一番にカーテンと窓を開ける!
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気分一新てな感じで(^^)
逆境は、幸福の源であると言えるかもしれません。
順境も逆境も、人生の材料にすぎず、これが、ただちに、人の幸と不幸をきめるわけではないと思います。
要は、これらへの対処のしかたこそが肝心なので、それのいかんによっては、
「順境かならずしも幸福ならず」
ということになってくるわけだと考えられます。
もっと強く、逆境こそが幸福といっていえないこともないかもしれません。
少なくとも、幸福を生みだす源というぐらいには。
なぜなら、逆境によってこそ、人は磨かれ、鍛えられて、とくに、その精神面を成長させることができるからです。
であれば、幸不幸は、人の心の中にあるのであり、幸不幸を決めるのも、その人の心なのでしょうね。
フランスの思想家であるモンテーニュも
「運命は、我らを幸福にも不幸にもしない。
ただその材料と種子とを提供するだけである」
と言っています。
同じいい事があっても、幸せと思える人もいれば、幸せと思えない人もいます。
同じ悪い事があっても、不幸と思う人もいれば、不幸と思わない人もいると思います。
幸せも不幸も、人の心の中にあって、運命や現実の中には、幸せも不幸もありません。
幸せになるためには、いい事をより幸せに思え、悪い事を、あまり不幸と思わないような自分の心を、育てていけばいいのではないかと思われます。
少なくとも、自分の運命や現実を嘆いているだけでは、不幸な思いをするだけですから。
大事なのは、物事の受けとめ方と、その後の考え方だと思います。
たとえば、しあわせなことがあっても、
「当たり前」
と思ってしあわせを感じられなかったり、しあわせを得たのに、すぐに失うことを恐れたりするのはよくないと思います。
反対に、不幸なことがあっても、現実として受け入れ、悲しみや、悔しさなどの感情を心のバネにしたり、いい方向に変えるいいきっかけにしたり、いい経験にしようと努力できるようになれたらいいのでしょう。
どのような不幸も、しあわせに変えることはできると思います。
難しいですけどね。
お部屋に朝の空気を取り込んで、思いっきり深呼吸♪♪