始めからすべてを知らなくても
何かがわからないから、自分が何か足りない存在のように思えることってあります。
また、知らないことにはなかなか足を踏み出せないこともありますよね。
でも、何かがわからない、何かを知らないこと、何かを理解していないことって、逆に普通のことだと考えてみたら、気楽になれます。
始めからすべて知っている、理解している、わかってる人なんて誰もいません。
最初からすべてのことにエキスパートでいることも、不可能です。
どんなことにもまず1回目があり、次があり、場数を踏んでいくのが当たり前。
一発で何かが解決することもまずないでしょう。
もしも自分が何かを知らない、わからないことで悩んでしまうなら、知らないことは恥ではない、と考え直してみてください。
むしろ、知らないと自分でわかるのだからこれはかえってひとつの足がかりです。
知らないことなら、自分で調べることもできますし、誰かに聞くことだって出来ます。
学ぶこともできる。
自分ですべてを知らなくても、知っている人が周りにいたら、それですむときだってあります。
そもそも、人間がすべてのことを一人で学ぶには、人生80年と考えてもどうにも時間が足りないと思いませんか?
なら自分のわかることにフォーカスする、自分ができることにフォーカスしていれば、それでかえって良いのではないでしょうか。
もちろん、わからないと困ること、知らないと困ることは出てくるでしょうから、それは当然ながら自覚もします。
そのときになったら、自分で学んだほうがいいのか、誰かに教えてもらうのか、それとも誰かにやってもらうのか、など選択できます。
人の知恵を拝借できることほどありがたいことはありません。
たとえば、相手をサポートするつもりでいろいろやってはみるけど、どれくらいが適当なのか、こちらがやり過ぎていないのか、それとももっと私が何かできるのか、わからない、という質問があったとします。
自主性を重んじることを考えれば、教えすぎるのも良くないかもしれないし、でも、あまり何も言わないのもよくないかも、と迷ったりして。
または、向こうは私がもっと何かするのを期待しているのか、それとも、迷惑だと思われているのか、とかね。
自分だけで考えていると、想像は想像を呼び、いったいどうすればいいんだろう?となってしまうかもしれません。
こんなとき、そのサポートする相手に直接聞いてみたら話は早いのです。
どれくらいがちょうどいいか、は本人が一番わかっているはずです。
聞いてみたら、意外な答えが出てくるかもしれないしもしかしたら心配は無用だったり、実は想像が当たっていたり、といろいろあるかも。
でも、聞くことで何かが出てきてすっきりできるはずです。
自分で考えて答えを出すことができないときは誰か他の脳も借りて、その上で自分で選択して答えを出せばいい。
どのみち知らないことやわからないことは、いくら勉強していても、どんなにアンテナを張っていても、必ず出てくるものです。
だから、始めからすべての答えを持っていなくても、すべて知らなくてもいいのです。
そう思って気軽に行きましょう!