文章が上手な人は、孤独な時間が長かった人だとか
こちらの記事で述べたことに通ずるのだけど
https://note.com/bavumiki/n/n55ed492690b0%0A%0A%0A
わたしは内向的だから
ひとり心の内側に閉じこもって
外からの全てを遮断して
自分の内側に流れている「声」だけを
聴く作業を小さな頃からしてきた。
ひとりっ子で兄弟がいないから
願わなくても
ひとりになりたい時はすぐ
好きなだけひとりになれた。
友達と遊びたい時は輪に混ざり
友達を誘いたい時は誘い
ひとりになりたい時はひとりになった。
わりと自由に
外側の環境を意図的にチョイスしながら
過ごしていた。
文法を使いながら大人に通じる文章的な言葉を喋れるようになった4歳くらいの頃から私は、
母に向かって、延々と4歳までの間まんぞくに言葉に出来なかった不平不満や自論や主張を、早口で口にし続けたのだと
母がよく楽しそうに懐古する。
私の言語は4歳から発達した。
その日から、私の脳内では
聴き取れないほどのスピードで
不平不満・快不快・主義主張・自問自答
などの脳内独り言が止まない。
飛び交い続けている。
無意識。
この脳内を整理整頓するために
脳内を都度、
文字として、文章として
外側に並べる作業をしていた。
同じく4歳の頃から
明晰夢をみるようになった。
毎日夢を見ては
夢を夢の中で夢だと自覚していて
その夢の行先を、ストーリーを
自分で意図して動かしていく。
明晰夢の中でのわたしは
何でも叶えることができた。
だから寝ている時が一番好きだったし
大人になった今でも
眠る時間が一番好き。
明晰夢でない日もあるけど
というか最近は疲れすぎてやっと
夢を思い出せないくらい熟睡してる気がする。
(気絶に近いかも笑)
小さい頃から
とんでもなくロングスリーパーなのだけど
眠っているのに脳が休まってないからだと思う。
どれだけ長時間寝ても、
寝ている間は長い長い夢を見ていて
それはまるで長編映画を5本くらいまとめて
観ているような感じ。
映画を観ているように
自分が傍観者として
物語を見守っているポジションの日もあれば、
自分の人生として夢の主人公目線の日もある。
主人公目線で夢の中で生きている日は、
寝て起きるとまるで
もう一つの人生を転生して経験したような気分で
夢が現実か現実が夢の中なのか
わからなくなる。
だから小さい頃から私の中では
「この世界はパラレルワールドが広がっていて、数秒数秒の選択次第で、Aの世界線にもBの世界線にも、無限の世界線へ瞬間移動しているもの」だと思って生きている。
これに加えて常に
人の持つオーラが見えていて
文字に色が乗って見えるという共感覚もあったから
ナチュラルにスピリチュアル子供だった。笑
邪な気持ちが強くなったころを境に
だんだんと見えなくなっちゃった。。
明晰夢のこととか
脳内独り言のこととか
ひとりの時間を持てていたことから
小学生のころは
夢小説みたいな文章を書くのが得意で
先生に褒められてた記憶がある。
親も先生も私の夢小説を
面白がって読んでくれた。
読んでくれるからまた書いて、
みたいな、良い原動力だった。
読んでもらうために書く文章が
ほんとうに楽しかった。
小学校4年生になると
クラスの仲の良い男女数人で
交換日記を始めた。
この交換日記も
人に楽しんでもらうために書く文章だった。
中学生になると
読んで楽しんでもらうためというよりは
自分の気持ちを吐き出す内容の手紙や交換日記、
コミュニケーションの補助的な
手紙のやり取りを友達と毎日するようになった。
いわゆる「手紙交換」
ここらへんになると
相手側の「文章構成の仕方」に注目していて
こんな文章構成だとこう伝わるなとか
この表現は面白いなとか
割と分析しながら「読む側」を楽しむことが増えた。
これは小学生の頃からだけど
図書室とか図書館が好きで
小説ばっか読んでた。
脳内並べる→空想を描く
→読む側に楽しんでもらえる文章を書く
→人の文章構成分析
→読む側を楽しむ
ここから私は
誰にも読まれないことを絶対とした
自分だけの日記を書くようになった。
始まりの、脳内を並べる作業とは
似て非なるもの。
この、自分だけが読む日記を経て
自分だけが読むポエムを量産していくことになった。
このポエムの山が
作詞作曲を始めようと
ギターで音を鳴らした瞬間に
言葉を降らせてくれる土台に
なってくれているのだと感じる。
ポエムなくして作詞無し。
小さい頃から文章を書き続けてきたから
喋ることと文章を書くことは同じことだ
という認識でいる。
なんなら喋るよりも
文章にしたほうがいい時さえある。
わたしにとってどんな文章も「会話」でしかない。
外側・自分以外の人に向けた会話か
内側・自分に向けた会話か
どちらにせよ会話である。
孤独な対話である。
自分の内側が整理整頓され、整う時間でもある。
note上に散らばった文章のほとんどは
自分に向かったひとりごとなので
読み手からすると読みづらいの極みなのでは
とも思う。
それでいいのだ。
noteは、大人になった私の
新しい日記帳。
書きたい時に
書きたいように思うままに文字を連ねるだけ。
日本語って最高だよな。
いいなと思ったら応援しよう!
