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「ベイトマンニュース」日本の八百万の神的教えが地球を救う
長い間日本を離れて海外で暮らしていると、世界の中でも日本人の考え方や暮らしは独特やなぁ、と感じることがちょくちょくあります。
例えば日本には八百万の神がいて、身の回り全てのものに神様が宿っているので、全てにリスペクトと感謝をする、ということを教えられてきました。八百万もの神様がいる、ということは、当然考え方も教えも様々。神様がそうだから、私たち庶民は自分とは違う考え方があったとしても、「まぁそういう考えもあるよな。」とその違いも受け入れるわけです。
一方外国では神は1人、絶対的存在という教えなので、神の意見と違うものは間違い。違いは受け入れられないので削除するのみ、という究極の考えになりがちなんですねぇ。だから戦争が起こる。
きっと昔の日本(天皇や将軍が国を治めている時代)もそういう「絶対的存在」からの命令は絶対の絶対で、現在戦争をしている国と似た状態だったんでしょうね。
自分ではない誰かに救いや正解を求め、従うのは、ある意味簡単です。自分で考えず、教えに従うことが正解なんだから、と自分の心に蓋をして何も感じないようにする。だから同じ人間同士が殺し合うなんてことが起こってしまう。怖いですね。
日本のゆるっとワイドな教えは、実はもっと難しいことだと思います。神様は自分の中にも相手の中にもいる。答えを、考えを、どう感じるのかは、自分の心と向き合って導き出すしかない。相手の心を想像するしかない。そして相手の中にも神様がいるので、たとえ意見が違っていても、その違いをリスペクトする。うーん、やはり難しい。笑。
でも、こういう考え方になると、誰かに命令されたからといって、人(自分自身も)を傷つけたり殺したりすることなんてできなくなりますね。
絶対的な統率者がいる国、自分の外側に正解を求める国民は、国としてはきっと統率しやすいでしょう。何か違う意見が出てきたら即座に削除してしまえばいいのだから。
逆に日本のような国は、いろんな考え方や正解がありすぎるから、国としてまとまりにくいのでしょうか。うーん、私はそれはまた違うんじゃないかと思うんですよね。
違う考えがあってもいい。個性があってもいい。目指していく幹となるものさえ同じなら、違いや個性をリスペクトし合って、もっと幅の広い、素晴らしい国になるんじゃないか。きっとそうなれるんじゃないか。
地球で暮らす全世界の人々は、自然破壊や環境汚染で地球が危機状態にあることをもっと自覚するべきだと思います。「地球を救う」ことを幹とし、そこに皆が向かっていけば、国々で考え方や感じ方が違ったとしても、お互いにリスペクトし合って仲良く暮らしていけるんではなかろうか。地球あっての国、地球あっての人間です。戦争なんてしている場合じゃないやろっ!と思っているのは私だけではないはず。
日本の、誰をもリスペクトする八百万の神的考えは、実は現在の世界に最も必要な考え方なのかもしれないですね。