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「ベイトマンニュース」戦わず受け入れたい

あっという間にオリンピックが終了し、お盆も過ぎ去っていきました。…ってもう8月が終わってるやん。笑。
残念なことに、私自身はオリンピックに「政治」や「忖度」を感じるようになって以来、情熱を持ってオリンピック観戦をする事が少なくなってしまったのですが、スポーツに人生をかけてきた競技者のことはいつも心から尊敬しているんです。

そんな中、今回のオリンピックで強烈に印象が残っている出来事があります。
それは女性のボクシングです。その選手は女性として生まれ、女性として生きてきた方なんですが、染色体の異常で体内の男性ホルモンの量が多く、身体が男性のように筋骨隆々で、身体機能としては「女性」よりも「男性」なんですね。
彼女はこれまでもボクサーとして様々な大会に出場してきたんですが、近年ボクシングの世界大会では彼女の男性ホルモンが規定以上に多いことで身体機能が普通の女性ボクサーとは違いすぎるため、(戦うのは)危険という事で、出場権を剥奪されていました。それが今回「友好的」イベントであるオリンピックは、彼女が女性として生まれた限り、女性としてボクシングに出場する権利がある、とオリンピック委員会がその人の出場を認めたそうです。

彼女の最初の対戦相手は、イタリア人の小柄な女性ボクサーでした。このボクサーは一発目で彼女の顔を思い切り殴り飛ばし、その威力でふっ飛んだイタリア人の小柄ボクサーは「このまま試合を続けたら、私は死んでしまう。」と即座に試合を棄権しました。
小柄な女性ボクサー相手に、「勝った!」と喜ぶこのボクサーに、ものすごい違和感を感じたのは私だけなんやろか。
もちろん彼女は「女性」なんやけど、染色体異常で身体レベルが一般女性とは全く異なるレベルだということも自覚しているはずです。自分とは身体や筋力が全く違う女性と戦って勝つ。それは本人にとってほんまに嬉しいことなんやろか。心から誇らしいことなんやろか。
結局彼女はオリンピックで金メダルを獲得するんやけど、なんだかすっきりしない、うーーーーん、という気持ちが残ります。「勝つ」ことが、「金メダルを獲る」ことが、彼女にとっては一番大事なことなんやろうけど、自分とは身体レベルが全く違う人と戦って勝ちとった金メダルは、彼女にとってはどんな存在になるのかな。

金メダルを獲得したけど、このオリンピックは彼女にとっても辛いものになったのかもしれません。小柄なイタリア人ボクサーの顔を殴り飛ばした彼女には世界中から非難が殺到しました。そして彼女は、彼女をSNS上で批判した有名人たちを片っ端から訴える、という行動に出たのでした。
やっぱりここでも彼女は戦っていくんですねぇ。

難しい世の中になりました。「男性」と「女性」だけで簡単にくくれないようになっています。ずっと昔から女性に近い男性や、女性のことが好きな女性だっていたと思います。だけど今のようにそれを認めよ!差別!同等に扱え!と主張をすることはなかった。主張できる世の中ではなかった。
私自身はたまたま普通に女性として生きてきたので、そういう苦しみは理解できないのかもしれません。だけど私はその人が人として魅力的であれば、その人にちゃんと正義があれば、それでいいと思うんですよ。だけど声高に差別を主張されればされるほど、自分たちを特別扱いしろ、と言われているようで、それはちょっと違うんじゃないか、とまたもや違和感を感じてしまう。笑。

昔は「性別」よりも「皮膚の色」が差別の対象としてはメインでしたね。現在では「皮膚の色」は差別問題としてはそれほど大きなことではなくなりましたが、今回のように別の問題が大きくなっている。世界は進歩しているようで、残念ながら本質はそんなに変わらないのかもしれません。
でも、やはり結局はその「人」やと思うんですよ。女性でも男性でも、健康でも病気でも、自分はこんな風に生きていきたい、という正義がきちんとあれば、もっといろいろシンプルになるんやないかな。

ボクサーの彼女も、いろんな差別や偏見とずっと戦いながら、苦しみながら、今まで生きてきたんやろうな、と想像します。
いつの日か誰もが「違っていること」と戦わないでいい世の中になるといいなぁ。私自身、スコットランドではかなり浮いている存在(笑)やけど、「違っていてもいい」と自分自身を受け入れてから、ほんまに気持ちが楽になったから。
金メダルがなくても、彼女が楽しく生きれるような世界になればいいなぁ、と思います。


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