12シトライアル第六章 八百万の学園祭part7
第百七十二話 薔薇のアップルパイ
マスターのご所望により、喫茶うなばらの新メニューを考案することになった俺と真凜、そしてマスター本人。真凜と俺がそれぞれ考案したものには、無事マスターのゴーサインが出た。さて、ではマスターのスイーツは如何なるものなのか。
といったところで不意に店のドアのベルがなった。そう、今は暇なだけで営業時間中。お客様が来ないわけではない。
「俺、一旦接客行ってきます。」
「うん、頼むよ。」
「ありがとう!」
俺は厨房を出て、店の入り口の方に向かった。
「いらっしゃいませ!お客様何め…あっ…」
俺はそこまで言うと言葉を失った。なぜなら…
「あら、岸くんじゃない!今日シフト入ってたのね!」
よく見知った顔とオーラの我らが図書委員長である大城先輩がそこにいたんだから。
「…とりあえずこちらの席へどうぞ。」
「ええ、ありがとう。」
ひとまず先輩を席に通し、
「お冷とおしぼりの方お持ちしますので、お待ちください。」
「完全に接客モードね…私一応はよく話す仲だしフランクでもいいのに。」
「…一応今はお客様と従業員ですので…」
「つれないわねー。」
先輩の小さな文句は一度無視して厨房へ。
「徹くんおかえり!お客様何人だった?」
ちょっと後ろ振り返れば見て判断できるだろうに、なぜそれをしないのだろうか。ここ、一応はカウンターの席の真向かいなのに。
「一人。あと、あのお客様の接客は真凜、ちょっと頼むわ。」
「え?!別にいいけど…そんな嫌な客だった?」
「そんな嫌な客だったらお前に押し付けたりしないよ。ただ、多分真凜の方がいいだろうなって。」
俺がそう言うと、真凜は頭の中がはてなで埋まっているかのような顔をした。だから後ろ少し振り向けばいいのに!
「じゃあこれ、水とおしぼりな。よろしく。」
「りょーかい!」
このまま話し込んで仮にもお客様たる先輩を待たせるわけにはいかないので、水とおしぼりだけ渡して真凜を見送った。
私の名前は大城流唯。東帆高校図書委員会の委員長を担っている。そして今日は、私の後輩の真凜や岸くんがバイトをしている喫茶店に来ていた。まさかその二人ともが今日シフトを入れているとは思っていなかったけど。このことからわかるように、私は別に二人に会いたくてここに来たわけではない。まあ会えればラッキーとは思っていたけれど。では何のためかというと、簡単に言えば脚本を書くのに集中するためだ。
というのも、東帆高校では例年、三年生は文化祭の出し物として演劇をやるというのがジンクスとなっていて、今年も例に漏れず、各クラスが別々の演劇をすることとなっている。そして私のクラスはというと、もう引退したとは言え私が演劇部だからという理由で、脚本や総監督という役職を丸投げにしてきたのだ。全部押し付けてきたみんなにも、そしてそれをちゃんと断れなかった私自身にも腹が立って仕方がない。だから、こういった静かな喫茶店で甘いものでも食べて気分転換しつつ、いつもと違う環境での作業を捗らせようという魂胆なのだ。
(あ、徹くんが私に任せたわけってこういうことだったんだ!)
「お待たせしました!こちらお冷とおしぼりになります!」
水とおしぼりと共に、中学の頃から聞き慣れた元気な声が横から…左を見ると、
「お疲れ様です!流唯先輩!」
やはり私のよく知る後輩、真凜だった。
「あれ?さっき案内してくれたのは岸くんだったけど、岸くんは?」
「あー、多分お客様が流唯先輩だったから、私に任せてくれたんだと思います!」
なるほどね…まあ別に、私としてはこれは真凜でも岸くんでもよかったのだけどね。
「流唯先輩、ご注文お決まりですか?」
しまった、完全に失念していた。改めてメニューを見る。
「とりあえず一旦温かいカフェラテにしようかな。」
「かしこまりました!また何か欲しくなったら呼んでくださいね!」
「徹くん、さっき来たお客様って…」
「ああ、俺の図書委員の先輩で、真凜の中学の頃からの先輩ですよ。ほら、この前ここで大人数で集まった時にも来てた人です。」
「ああ…なるほど、それでさっき真凜ちゃんに任せたんだね。」
「まあ、そういうことです。」
マスターも納得の様子だ。そしてさらに、何かを…企てている?そんな様子の顔をした。
「徹くん、せっかくだから最初のモニター調査してみないかい?」
「…もしかしてさっきの新メニューの?」
「そう。どう?」
「いや、どうと言われても…」
そんな軽いノリでやってしまっていいのか…?
「注文入ります!ホットのカフェラテお願いします!」
真凜が戻ってきて告げた。そしてマスターがラテを淹れ始める。コーヒー系のメニューは流石に一番コーヒーに精通しているマスターの担当である。マスターが休んでしまった時のために作り方くらいは知っておきたいんだけどな。で、そうだ。モニター調査の話だ。
「マスター、モニター調査ですけど、先輩がどんなもの食べたいかもわからないのに、勝手に出すのはどうなんですかね…」
「ん?まあ、そうだよね。だからちょっと次は私が接客しに行くよ。序でに聞いてこようかな。」
…うちのマスターの行動力がすごい。
注文から数分。
「お待たせしました。こちらカフェラテです。」
なかなか渋い声が飛んできた。今度は…この店のマスターだろうか。
「ありがとうございます。」
「君、徹くんや真凜ちゃんの先輩なんだってね。」
「え、ええ。まあそうですね。」
まさかマスターから話しかけられるとは…
「この店はどうですか?」
「そうですね…雰囲気もBGMも心地良くて、店内のアンティーク調な感じ、私はすごく好きです。」
私が感じたままの感想を述べると、マスターはにっこりと微笑んだ。
「そう言ってもらえて嬉しいよ。そうだ、ところでなんだが…」
「はい?」
「今うちの店でね、いくつか新メニューを考えているんだ。ドリンクとガッツリとしたフード、それからスイーツとあるんだけど、まだ仮採用段階だから無料でどれか試してみてもらえたりしないかな?」
新メニュー…気になる…!特に甘いものを欲している今は…
「スイーツ、特に気になります…!」
「わかりました。じゃあ、今お持ちするので、しばし待っていてくださいね。」
「はい、ありがとうございます。」
甘いものを欲していて且つ、何を食べるか迷っていた私には願ったり叶ったりの提案だった。ただ、本当に無理でいいのだろうか。
「スイーツの新メニューを食べたいとさ。」
普通に新メニューの調査が実現してしまった。
「でも、スイーツってマスターのですよね?」
「私たちもまだ食べてないのにいいんですか?」
「…なら二人も一緒に食べるといいよ。今から二人には30分休憩に入ってもらいます。」
「「はい?!」」
「ということで、二人もあの子のところに行った行った…!」
そう言ってマスターは、還暦近いとは思えない足取りで俺と真凜を大城先輩の席へと連行した。
「お待たせしました。こちら徹くんと真凜ちゃんになります。」
「それは…お待ちしてはないです。」
「こちら無料のサービスですので。」
「「マスター!」」
「というのはほんの冗談で…二人には休憩に入ってもらいつつ、君と一緒に私の新作を試食してもらおうと思ってね。二人もここに座らせてもいいかな?」
マスター、冗談も言える人なんだ…
「いいですけど…」
別に断る理由もない。
数分後。
「お待たせしました。こちら、私の新作スイーツ、薔薇のアップルパイです。」
そう言ってマスターが持ってきたのは、写真映えすること間違いなしのアップルパイだった。切られたリンゴが薔薇の花弁のように並んでいる。これは綺麗だ。
「すごいな、薔薇科の果物で薔薇を…」
「徹くん、楽しみ方ちょっと違うかも…」
「とりあえず食べましょうか。」
そうして三人で試食してみた。味も言うまでもない。至高のアップルパイ。以上。
「どうだったかな?私のアップルパイは。」
アップルパイとカフェラテを楽しんだ後にマスターに尋ねられた。
「見た目も味も素晴らしかったです!」
「俺も先輩と同感です。」
「私も!これは一気に本採用でいいんじゃないですかね?」
満場一致。それはそうなる。本当に美味しかったし美しかったのだから。
「それはよかったよ。みんな試食ありがとうね。それと大城さん…だったかな?またうちに来てくれるとありがたいね。」
「はい!またお邪魔させていただきます!」
こうして、私はマスターと顔見知りとなり、その後しばしば足を運ぶようになった。それはいいのだけど、結局脚本作りは一切進まなかったのであった。本末転倒じゃない!