『1日サボれば取り戻すのに3日かかる?』馬鹿なこと言ってるんじゃないよ。
僕は高校時代、吹奏楽部に在籍していた。
僕の中学では、吹奏楽部は女子だけがやる部活みたいな認識が強かったことから、他の中学からの吹奏楽経験者が多くいる中で完全な初心者としてトロンボーンを演奏していた。
ピアノの経験はあったが、すっかり昔の思い出であり、おまけにトロンボーンはヘ音記号を基準としていたのでとにかく苦戦していたことを思い出す。
どの部活でもそうだとは思うのだが、高校によってガチ度というのは変わってくる。その中でも、特に吹奏楽部というのは「優秀な指導者の存在」が集団としての実力を圧倒的に決めてしまうので、他の部活動よりもそうなりやすい傾向にある気がする。
「優秀な指導者の存在」が吹奏楽部としての実力を決めてしまう例として、僕の地元のコンクールを話そう。とある高校は県吹奏楽コンクールで、毎年金賞をトップで獲得し当たり前のように全国へ出場するようなところだった。
そんな高校であるから、もちろん部員一人一人の基礎能力も高く、青春のあらゆる時間を音楽に費やしている。他の高校も彼らの結果に不満を言えないほどに。
だがある時を境に彼らは吹奏楽コンクールで結果を残せなくなってしまう。指導者が交代したのだ。
縦社会が強い吹奏楽部では、先輩から受け継いだ伝統とやらが強く残りやすい世界なので指導者が変わった程度で楽器の鍛錬や音楽への向き合い方がそう簡単に変わるわけではない。
ただ指導者が変わっただけなのだ。ただそれだけのことで、コンクールで結果を出せなくなってしまうのが、吹奏楽コンクールが権威主義的であることを示すものなのか、それとも指揮者の重要性を示すものなのか吹奏楽にニワカの僕にはおおよそ検討つかない。
わかることは、吹奏楽というのはとにかく不安定が前提な世界であると言うことだけだ。
そういえば、吹奏楽をはじめとした音楽の世界にはこのような格言がある。
練習を1日休んだら取り戻すのに3日かかる
いって仕舞えばこれは、「毎日サボらず頑張んなさいよ」という意味に他ならないのだが、言葉を重く受け止め、悲しいほどストイックに練習をする人がいる。
僕の高校でもそういった格言が、多くの部員を半ば強引に鼓舞し、練習のきっかけを生み出していた。
こういった言葉が人の努力を後押しする側面はあるのだと思っている。周りが経験者で僕がほぼ初心者状態であるのにもかかわらず、楽器の練習を熱心にできたのはこの言葉があったからだ。
音楽にしても勉強にしても他人から刺激を受けることがあっても、他人と比較をしながら練習をしていくことほど意味のないことはない。
音階が十分に鳴らせない状態のとき、周りの友人が様々な曲を演奏しているのに感化されて、似たような練習をすると大体悪い癖がついてしまうことがある。
カラオケで強い癖を持って歌う人は身の回りに1〜2人ほどいると思う。わざとらしさが鼻につくときもあるだろうが、ほとんどが自然に身についた癖だ。
カラオケであれば、歌い手だけがピックアップされたソロ状態で歌うことになるので、それを“個性”とちょろまかして逃れることができるのだが、吹奏楽の世界は合奏が基本なため、“個性”は悪い癖として一蹴されてしまう。
この悪い癖というものは、自分の状態をよく理解しないままにやりたいことだけをやり続け、うまくいかないことがあると音の基本的な部分への解釈を歪めてでもやり遂げようとする。これが悪い癖につながるのだ。
こういった事態に陥らないようにするためには、自身を周りと無闇に比較するなということをひたすら肝に命じなければいけない。つまり、自分の状況を考えながらゆっくりやっていくしか方法はないのだ。(習い事をしていれば、指導者が悪い癖を適宜直してくれるだろうが)
そういう意味でも「練習を1日休んだら取り戻すのに3日かかる」という言葉はありがたい存在である。「1日休んだら他の人はその1日で上手くなる」とかではなく、比較対象を過去の自身に向けることによって、地道な努力を推奨しているのだから。
その一方で、この言葉が練習している人の思考を凝り固めている危険性についても述べていきたい。
当たり前のことだが、演奏することだけが音楽ではない。良い演奏をCDで体験する、音の違いを聞き分けるなどの行為も音楽的な活動である。
これは持論だが、演奏の練習で行き詰まった時は模範になるものをひたすら聴き込むことが解決策になりやすい。というのも、「できない」以前に「知らない」という場合の方が多く、そういったものは実際に聴き込むことで知ることができるからだ。
また「聴き込む」の表現の通り、僕たちは一回で流れている音楽の全てを正確に理解することはできない。他のことに気が移って、聞き取れなかった場面や魅力的な裏で堅実に積み上げられたサウンドなどは何度か聞くことでその存在を知ることができる。
この通り音楽は演奏するだけでなく、誰かの演奏を聴き込むということも大きな練習の一環であるが、どうにも演奏はアクティブで視聴はパッシブなことだという世間での観念が多いため、演奏だけが音楽の練習であるという風に捉えられてしまう。
そのため、学校の吹奏楽でCDを聴き込む学生というのはかなり少なく、代わりに演奏を毎日3時間と平気でこなせる学生はかなり多いのだ。であっても、自分の理想がわからない状態で闇雲に練習しても得られるものは、少し無茶をしても大丈夫な基礎体力くらいしかないと思う。
「練習を1日休んだら取り戻すのに3日かかる」という格言は“練習”の意味を明らかにしなかったことで、多くの吹奏楽部生を暗闇へと追いやってしまったように感じる。僕たちはもう少し柔軟で厳格に物事を考えていかねばならない。