雑記「アクタージュについて」
週刊少年ジャンプの中でも、特にアクタージュが好きだった。
絵は漫画において作品そのものの読みやすさを促進する効果を持っていることは誰もが認めることだろうが、この頃の漫画作品は絵の微妙な表現で事態をより精密に示すことが上手になっているように思える。
登場人物の背景を真っ黒にして「登場人物に何かネガティブな感情が湧き上がっている」状態を示唆することは、様々な作品でも共通のものとなっている。
「さっちゃん、僕は。」や「リィンカーネーションの花弁」などは黒い背景を頻繁に使う作品例である。後者は、とあるキャラクターの能力を効果的に見せるための手段として使っている。
こういった技術の中で、セリフ以上に表情を巧みに操り漫画を演出していたのはアクタージュだと思う。
作中の「銀河鉄道の夜」にて、一切の狂気をも持ち得ずに、優しくジョバンニを導いていくようなカムパネルラの人間離れした清々しさが、主人公である夜凪景の表情とそれを引き立てる背景によって十二分に現れていた。
過去と向き合った彼女が「羅刹女」にて、今にも吹き出そうな憤怒のマグマを押さえながらも冷酷な表情をもって自身の役を演じたシーンでの表情が「銀河鉄道の夜」との彼女の大きな落差を見せ、複雑なドキドキを感じさせてくれた。
また、他のキャラクターも素晴らしい。<天使>として芸能界で大きな評価を得ていた百城が夜凪の影響を強く受け、彼女自身が新たな強みを獲得し成長していく姿は、回を経るごとに豊かになっていった彼女の表情からも滲み出ていた。
最新刊を読むたびに、期待がひたすら膨らみ、もしありきたりなラストでこの作品を締め括ったとしても、その陳腐さすら受け入れられるだろうと思えるほどだった。
そんなアクタージュは、原作者逮捕の報によって連載が終了してしまった。
突然の知らせにもちろん驚き悲しんだけれど、作画の宇佐崎氏がいずれ他の作品で筆をもてるなら、それで良いと思った。
そういえば、宇佐崎氏の公式コメントにジャンプ編集部が引用リプライという形でコメントを載せていた件で多くのユーザーが怒っているのを思い出した。
「ジャンプ編集部はまず被害者に配慮すべきだ」という、それは至極真っ当な意見であるが、なぜあなたたちはそんなに怒り狂っているのかと同時に不思議な気持ちを感じた。
被害者への配慮というのは、被害者へするものであって、インターネットでお気持ちを表明しているあなたたちのためにあるものではないだろう。公式の表明に加えて、個人的な謝罪があるだろうと推察することは難しいことではないだろうに。
本買ったり、コーヒー飲んだりに使います。 あとワイシャツ買ったり