プロジェクト・ヘイル・メアリーを読んで【ネタばれあり】

タイトルの通り。
一週間強で一気に読み切ったのでその感想を。
あらすじでは見えてこない部分がほとんどで、ネタバレなしではあらゆる魅力を説明することは困難だ。既に読んだ方に向けて。







まず、この本はおそらく硬派なSF作品ではない。上質なエンタメ作品である。

本作は地球(過去)パートと宇宙(現在)パートが記憶の混濁を理由として交互に語られる。両パートは異なる毛色だがともに引き込まれるもので、それぞれの遷移はむしろ楽しみなものになる。(え?じゃあ過去はどうなってるの早く教えて!え?その過去エピソードは現在に大きく影響を与えるよね?早く教えて!)

作者の過去作と同様、科学の説明は丁寧かつ説得力を持って行われながら、高校科学の域を大きく逸脱はしない。正直わからない部分もあるが結論まで読み飛ばしても影響は少ない。これは丁寧な描写、表現によるものだろう。(しかし背後に膨大な科学考証があったことを端々に感じさせる。あとがきの協力者たちの肩書を見ればそれは明らかである。)

全体の構成は上記のとおりだが、そこで語られる内容はあまりに面白い。様々な感情を揺さぶり、物語の中に引き込んでゆく。
過去パートでは出発までのあれやこれやを描いてゆくが、つまるところ「全世界統一ミッション」の一部始終である。大国同士が手を組み、あらゆる技術を惜しみなく投入、如何にして現在パートに至ったのかが断片的に語られる。お気に入りは、振るわれる強権とそのハチャメチャっぷりだ。コロナ化を経た今、本当に世界が協力し合えるかは甚だ疑問だがなにか歯車が噛み合えば実現出来そうな、「あってもおかしくない、あってほしい」全世界の奮闘、共闘が見られる。過去パートのラスト、出発直前シーンも良い。とあるエピソードによって、ここまでスーパーマンとも思えた主人公が平凡な、ありふれた人間であるような気がした。斬新な構成で本当に驚いた。

そして現在パート、話題のロッキーである。翻訳の技量も相まって、その存在と人格?は活き活きと描写される。邂逅シーンやコミュニケーションの構築部分がご都合主義だと言う評価もあるが、それは二人が語らう生命の必然性の推理で十分補足されていると感じた。そもそもこの厄災は近宇宙全体へ急速に波及したものであり、タウ系への集合は、「近隣知的生命体への呼び出し(燃料付き)」に応じたものである。ゆえに二人の出会いは必然で、何の矛盾もない。
現在パートは所謂バディ物としてその魅力が語られることも多い。エアロックが繋ぐ友情、科学を介した信頼関係だろうか。二人の関係は必然にまみれたこの物語唯一の奇跡と言ってよいだろう。

そして怒涛のラストである。主人公は永遠の別れを告げた友に訪れた危機を知る。迫られる究極の選択。自分には相手を救う力があり、それは自己犠牲によってのみ達成できる。この構図は過去パートラストでの葛藤と同じだ。しかし今回の決断は違った。あらゆるリスクを天秤にかけたうえで、それらを無視して友を救いに飛び出した。自らの確実な死を覚悟して。過去と現在の決断、これらは何が異なったのだろうか?救うべき相手?人間的成長?いや、本質は変わらず、どこまでも不合理な人間の本質の現れではないだろうか。しかもこの場合、自分の死を選択するほうが人間的でエゴイスティックなのである。過去パートでの葛藤ははっきり言って正論だ。誰だって本当は70億人のために死にたくはない。友、家族、なにか名前のついたものを守るときだけ人は死を選択するのに十分な燃料を得、飛び立つのだ。登場する他の宇宙飛行士たちはまさに映画の主人公、例外だ。ところが過去パートの主人公はしきりに学校の子供を引き合いに出し、まさに守るべきものとして語るが、教室の外では一人の名前も出てこない。ここまでの描写にあったあらゆるものは主人公が命を賭して守るものにはならなかったのだ。それがどうだろう、宇宙で出会った奇妙な友人は、矛盾に溢れた、不合理な、確実な死が待つ決断を主人公にとらせた。この結末を持ってこの物語は友情譚だと言えるだろうか?うん、言えると思う。地球では持てなかった友愛を、主人公は遠い宇宙の奇妙な岩石に対して抱いたのである。それでいいのだ。これが成熟した知的生命体のふるまいなのだ。

タウ系から持ち帰ったのは奇跡的な友情だったとさ。


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