働きながら考える
平日の朝は、何も考えることができない 自然の光ではなくアラームに叩き起こされて始まる なんのために食べているのかさえも分からないまま食パンをかじり、なんとなくコーヒーで流し込む 顔を洗って今日1日が始まったのかと唖然としながら電車の時間を意識する 時計をチラチラと目で追いながら、ネクタイを締めたり水筒の準備をする 最寄り駅までぼんやりとした頭で歩き、満員の電車に乗る たまに乗り切れず電車に弾かれて、外側の車窓にうつる自分の顔が切ない 通勤時間帯の電車では本を読むスペースがないから音楽を聴く 気分じゃない音楽が流れてもスマホをいじるスペースもなくて曲を変えることができないからただじっと聴く 音楽を聴いていた方が有意義なんじゃないかと思うから 会社の最寄駅に着いてしまう 地下鉄の駅の階段を登りながら上を眺める 四角く切り取られた空が見えて映画みたいだなと思う 思うだけ 仕事が始まって終わるまで何も考えることができない
なんだか心身ともにクタクタになって帰路につく 家に着いて、解放されるためにシャワーを浴びる スッキリしたような気になってご飯を食べたりする ああ、もうこんな時間か 本を読む 寝るまで本を読もうと思う 人権とか差別とか生活とか日常とかお金とか人生のことについて考えているつもりになる でもほんとは空っぽ 湧いてくる感情を感じ切る体力がなくて考えない方向に舵を切る 意味なんてなくていいけど空気みたいだなって思う 自分の声はただの音になって、自分はここにいるよって叫ぶのも怖くて恥ずかしい いろんなことにがんじがらめにされて、だから働いて、そうやって生きているけど、救いなんてないのかーってため息をつく 車谷長吉の人生相談読んでたら救いなんてないから救いを求めるなって書いてあって気が抜ける 少し楽になるし、車谷長吉に相談したら自分の悩みが悩みじゃなくなる だって上を超えてくる感じがして呆然とするから